Akiko recounts her experience growing up as an indigenous tribesperson in Japanese-occupied Taiwan, her laborious yet fulfilling job in the Kuomintang-established Cultural Working Group, as well as her perceptions on various political forces on the island.
A子 さん (タイヤル族) 烏來部落出身、烏來部落在住
83歳 1939年(民国28年)生まれ 国民学校卒業→元文化工作隊(山地文化巡迴工作隊)→1、2期林務局勤務→宣伝工作隊→観光所勤務 クリスチャン
2019年9月29日 自己紹介、お父さんと高砂義勇隊、文化工作隊について
2022年12月15日 自己紹介、旦那さんの話
2022年3月20日 自己紹介、お父さんの話、戦後の改名と使用言語について、工作隊の話歌の話、A子さんの政治観
2019年9月29日
筆者:お名前をお願いします。
A子さん:原住民の名前はないね。日本の名前はA子(仮名)。私はあの、1939年生まれ。
筆者:この名前は父母がつけましたか?
A子さん:日本人がここおった時お父さんがつけた名前。あの身分証もやっぱしA子よ。今は変わったね。お父さんは変わってない。
筆者:お父さんお母さんのお仕事って何でしたか?
A子さん:もうお父さんは大体25か26のその時、戦争行ってもう帰って来てない。
筆者:それって高砂義勇隊ですか?
A子さん:そうそう、遺族。
筆者:何期か分かりますか?1から8回まで義勇隊ってあったんですよ。
A子さん:分からないね、あの時小さいから。
筆者:その時お父さんて何歳でしたか、A子さんが小さい時。
A子さん:4つ位ね、4つ。 筆者:お父さん何で高砂義勇隊に入ったか分かりますか?
A子さん:原因はね、(お父さんに)兄弟二人いましたね。もう一人の弟さんは結婚したばかりでしょ。二人ね、新婚、だから嫁さんは体あまり良くない。お父さんは可哀想ねと思って、自分が犠牲ね、行った。 筆者:じゃあご兄弟はA子さんは、お兄さんと、A子さんと、弟?
A子さん:はい、そうです。全部で四人ね、お兄さんと、お姉さんと、私、と弟さん。お母さん、兄さんもう居ない。亡くなった。 筆者:お父さん義勇隊行ってからお母さんが仕事していましたか?
A子さん:そうね、お母さんまだ24歳ね、まだ若いよ。部落の。
筆者:生まれも烏來ですか?
A子さん:はい。
筆者:じゃあお家だと何語で話してましたか?
A子さん:その、帰ったらもう自分の言葉使いますよ。北京語、中国の言葉も使う、タイヤル族の言葉も使う。
筆者:日本がまだ台湾に居た時は、A子さんはお家では何語で話してましたか?
A子さん:日本語よ。ずっと日本語よ。お母さんは日本教育でしょ、お兄さんもね。
筆者:A子さんが学校に行った時は、中国語で?
A子さん:はい。先生は北京の人。あの、神社ね。ありますよここ。高砂族のね、遺族の、日本から送ってきたから。みんなここに入れてますよ。大体、40人か30人の。それで、大きい台風が来てね、台風が来たときに、半分悪くなった。半分は残ってるからね、今政府がお金無いだから。
筆者:義勇隊で帰ってきた人はいましたか?
A子さん:居ますよ、何名しかない。
筆者:その方々ってまだ烏來にいますか?
A子さん:まだ烏來は2つ3つ部落ありますよ昔は居ましたけどね、もう皆亡くなったでしょ。
―雑談省略―(旦那の妹の結婚式について)
筆者:1年生から6年生までずっと中国語?
A子さん:そうよ。
筆者:小学校の後って何しましたか?
A子さん:仕事、台北。国民党分かる?団体ね、踊り。工作隊ね、踊り、山の。中国と一緒にね工作隊という。一緒に踊って、山行く。部落ね、平地から、降りてくる…あの、日本語が…
筆者:工作隊は誰が紹介したのですか?
A子さん:あのね、郷公所(村・町役場)が呼んできた。紹介が来て、報告があるでしょ、誰が好きの踊り、紹介する。あの時はね、小学校卒業したばかり、あまり分からないでしょ。
筆者:何歳くらいの時ですか?
A子さん:16歳くらい。
筆者:まだ若いですね。
A子さん:若いよ。あの、選んだ人が行く。
筆者:選ばれたってことですか?
A子さん:そうそう、一つの部落、一つの郷ね、一人だけ。あの、誰か(選ばれるか)分からない。
筆者:行った後ってもうずっとお仕事ですか?
A子さん:踊りは夜ね、仕事は夜。
筆者:誰に見せるんですか?
A子さん:部落の高砂族ね、所々沢山あるでしょ。夜電気無いでしょ、みんな降りてくる。テレビも何も無いから、踊りも喜ぶ。60年前。
筆者:その踊りを同じ高砂族の人に見せる?
A子さん:そう。 筆者:何で工作隊っていう名前なんですか?
A子さん:これが、台湾省、中国国民党、分かる?文化工作隊。そこの台湾省ね、一つの所(各省)は一人ね、皆30何人よ。賑やかよ。例えば今日ね烏來来る、明日角板山行くよ歩いて。車無いでしょ。部落、8時間でも歩くよ。昔は車無いよ、皆歩いて行く。
筆者:歩いた後また踊りますよね?
A子さん:ええ、夜まだ踊るよ。4時間、5時間よ、あの(山)道だめでしょ。今はもう良いけど。私が歩いた、皆喜ぶよ。喜んでた。皆ショーを見る、嬉しいよ。テレビも無い。電気も無い、嬉しいよ見るの。
筆者:皆それはタイヤル族?
A子さん:いや、色々あるよ。タイヤル族ね、アミ族、パイワン族……
筆者:皆一緒に踊るんですか?
A子さん:そうよ、色々ね、男も半分、女も半分。
筆者:それは原住民の踊りですか?
A子さん:うん。それは、山地文化工作隊。
筆者:でも民族によって踊りは違くないですか?
A子さん:違います。先生はね、あの時は、先生がね、色々な踊り教えるでしょ。 筆者:先生も原住民?
A子さん:台北の人よ。
―雑談省略―(孫の仕事に関して)
筆者:(工作隊)お給料って良かったですか?
A子さん:良かったですよ。月給で100円よ。台湾の100円。60年前、100円大きいよ、お金。
筆者:これって13歳から16歳ですか?
A子さん:一番小さいのは15歳位ね。寂しいよ。
筆者:お家にはいつ帰れましたか?
A子さん:休みもありましたよ。長くないよ、また仕事行く。
筆者:休みは毎週?
A子さん:そんなことない、もしここから仕事するだったら、一ヶ月終わったら、帰ってきて、休み大体2日。
筆者:他のアミ族の人はそれぞれ帰るんですか?
A子さん:でも2日だけだったら帰れない人もいます、帰れない人は行かない。帰れる人は行くね。道あまり遠いと、休みないよ。兩天不夠,他們就不去了。
筆者:じゃあこの仕事、原住民部落にしか行かないですか?
A子さん:平地にも、やっぱり大きい部落の所あれば、国民党の支庁だったら、やっぱし行く。台北あるでしょう、花蓮港ともあるでしょう、やっぱし支庁あったら行くよ。
筆者:電車ですか?花蓮港。
A子さん:もし遠いだったら電車。もし近かったらトラック。
筆者:この仕事はA子さん、どれくらいした?
A子さん:大体2年ちょっとね、2回行ったの。
筆者:全部で2年?
A子さん:そう。
筆者:その後何しましたか?
A子さん:その後、もう同じ郷内の会社行った。やっぱし踊った。飛行機乗って金門行った。お祝い、お祝い。
筆者:何の?
A子さん:あっちの、金門は兵隊さんでしょ。踊り見せて。給料無い。1週間行った。サービス踊って、見せて。あれは皆平地さんでしょ。兵隊さん好きよ、若い娘。ハハハ
筆者:それも、原住民の人だけ?金門に行ったのは。
A子さん:グループがやっぱり混ぜ混ぜね。台湾の人もおった。中国の人もおった。アミ族も…混ぜ混ぜ。
筆者:踊りのお仕事は何年位したんですか?
A子さん:2年ちょっと。3年ね。(*文化工作隊が2年で、宣伝工作隊が約1年)
筆者:何でタイヤル族は踊りが多いんですか?
A子さん:昔はね、山はお金が無いでしょう。山は仕事する所が無いでしょう。勉強する人は台北行くでしょう。でも勉強するにはお金必要でしょう。だから、勉強してない。小学校卒業。勉強する人は、お金ある人が、中学校入る。
筆者:踊りは有名だったんですか?
A子さん:昔は仕事しないと。踊り好きよ皆、若い人踊ってるよ。
筆者:その後何しましたか?
A子さん:その後結婚した。
筆者:同じ烏來のタイヤル族?どうやって出会いましたか?
A子さん:やっぱし烏來の人だからね、少し知ってます。その後、縁でね…。
筆者:昔の思い出とかありますか。小さい時でも何でも。
A子さん:生活は本当に苦しい。お父さんが戦争行ったでしょ。お母さん1人で4人の子を、仕事するでしょ、だから生活苦しいよ。あの時仕事することも無いよ。今だったら台北でも仕事するでしょ。その時代は難しい。仕事しないと。
筆者:お母さんは仕事何してましたか?
A子さん:やっぱし山の方で、芋植えたり、農業の仕事ね。お父さん無くてもね、やっぱししないと。食べる物無いでしょ。
筆者:お父さんは仕事何してましたか?
A子さん:まだ小さいだから、分からないね。
筆者:お父さんは、戦争で亡くなったのはどう知りましたか?
A子さん:あの時まだ日本人台湾おったでしょ。日本人が家のほうに来て。連絡してお父さん亡くなったって。お祝いにきた、家の方に….
―A子さん宅に来客があり中断―
2022年2月15日
*この日はご家族も一緒で雑談が多いため、一部分のみ文字起こし(残りはファイルに音声あり)
工作隊の話
A子さん:二つの郷あったら二人の代表、我們住在台北,練跳舞練唱歌,讓後,我們就9月,走路喔,以前呢。日本走了,台灣光復嗎,日本走了啦。我們去上山、あの、便利じゃないでしょね、田舎。車無いね、皆歩くよ。走了呢,8少時走路呢。聽說,這裡要到那邊走了4個鐘頭,我們就走路。沒有車站。我們去那邊,那邊有部落あるですよ,我們要表演呢,那個有活動啊,這樣子。
旦那さんの話
A子さん:47年時(1947)、(旦那さん)國中卒業した。もう、兵隊、兵隊志願して、兵隊行った。国民党の人、やっぱし一様、同じ人。看起來,很老實啊。不知道是怎麼樣。最後,死んじゃった。39歳で。亡くなった。お酒で、肝臓悪くなったよ。私苦しいよ、四人の子供、私一人仕事、四人の子供、また勉強、家の伝統とかね、皆一人。まだ子供小さいよ、あの時。一番小さいのが大体国民学校3年生。大きいのが、大体、国中、中学生。まだ還小でしょ,不會做事啊,還好我這個最大的(兒子),他比較懂事啊,我沒有教他看書讀書,他自己看書,他去考書啊,沒有去那個…學院,沒有,師範学校のもっと上、5年でしょ、不來就先生でしょ、嫁さんも先生。
2022年3月20日
*この日は日本人学生のBさんをA子さんに紹介し、Bさんと共に訪問*
Bさん:A子さんは、烏來の国民学校で勉強しましたか?
A子さん:しました。3年間、あの、中学校の勉強にいきたいけど、ここ山出るの大変。夜帰るの危ないでしょ。
Bさん:お父さんはどんなお仕事をしてましたか?
A子さん:もうお話しすると長いですよ。私ね、お父さん3歳の時亡くなったでしょ。あの時3歳何も分からないでしょ。その時その時代は日本人50年居たでしょ。だからお父さん何歳だったかな、日本と大陸戦争して、その終わり頃、私3歳位。幼稚園も入ってなかった。戦争して負けたでしょ、日本。その時お父さんは、日本の…日本危ないでしょ、だから志願行ったのよ。義勇隊に参加して。行って、帰ってきてないです。あの時私3歳、何も分からない。
筆者:お父さんは戦争どこに行った?
A子さん:ニューギニア。ニューギニアで亡くなったの。一緒に行ってきた人ね、帰ってきた人、直接家のお婆ちゃんお爺ちゃんに話して。残念でね、帰って来ないという話。
Bさん:お父さんの友達は、お爺さんやお婆さんにどんなことを話したか分かりますか?
A子さん:あの時4歳5歳位だから、あのお友達はね、新店から来るならあまり良く無いでしょ。歩いて帰ってきた。お婆ちゃんの家に来てね、ニュースはお婆ちゃんとお爺ちゃんと私のお母さんね。もう…心配しないでね。今ね、上の方、お墓、今上のほうにある。運命がダメですよ。ある何年前だったかな、3年前か4年前、(烏來に)大きい暴風雨あったのよ。もう半分以上あったのよ。半分以上(お墓)残ってる今。
Bさん:今度行った時お父様の名前探してみますね。
A子さん:はい。こっちの方は大体3人の方だけ。
筆者:一緒に(戦争)行った人?
A子さん:負けた時はね、こっちの部落は大体3人帰ってきてない。
Bさん:A子さんは生まれは1939年?
A子さん:1939よ。もう歳ですよ。
Bさん:戦争が終わった時はまだ6歳ですね。
A子さん:まだ小学校は行ってない。中国入ってきたでしょ。中国の小学校入ってきた。まだ小さいでしょ。お父さんないし、お母さんも若いけど、やっぱしうちのお母さん居たけど、話少ないだから、あまり行ってない。
筆者:じゃあお母さんとは?
A子さん:タイヤルの言葉です。お母さんが日本教育だからね、日本語言えますよ。でもやっぱし子供だから、原住民お話。
筆者:お母さんと日本の話しなかったですか?
A子さん:私の子供4人でしょ、まだ小さいよ、うちの主人が、志願ね、兵隊さんね。国民党その時は勉強ね、皆中国でしょ。主人もね、中国の学校勉強して、兵隊志願。
Bさん:ご主人はずっと兵隊ですか?
A子さん:そうです。39歳で亡くなったです。その時日本時代でしょ、あの時はA子。
Bさん:お兄さんは戦争に行きましたか?
A子さん:お兄さんはまだ。12、3歳。
Bさん:お父さんのこと覚えてますか?
A子さん:全然、まだ小さいだから。うちの弟と私は全然。お兄さんは少し分かるらしい。
Bさん:A子さんタイヤル族の名前は?
A子さん:無いね。付けてなかったの。
Bさん:中国語名はどうやって貰った?
A子さん:日本帰ったらね、中国の名前ね皆。日本の名前少ないの。私の名前は中国語入れてるでしょ。でも身分証は、日本の名前。
筆者:認められない?
A子さん:うん。ただ、お父さんの名前は日本。というのは、本人がないと名前消すことできない。
筆者:中国の名前どうやって知った?
A子さん:日本帰ったでしょ。だから中国の名前は政府が皆…もう一度日本の名前はあの中国の名前つけた身分証。でも本人でないとお名前が…ちゃんとね、郷公所の方ね。専門のあれ…
筆者:手紙が来たの?
A子さん:うん。
筆者:A子さんのこの、中国語のお名前は学校で?
A子さん:やっぱし郷公所の方は、「家庭は誰々」って中国の名前ね。お父さんだけ、亡くなっただからこうするできない。じゃあお母さんも、兄弟の名前は皆変わったけど、というのは、うちの名前はA子でしょ。呼ぶのだけはA子という。皆中国の名前使う。
筆者:A子さんの友達はなんて呼ぶ?
A子さん:いいえ、私はやっぱしA子と言うんです。原住民の名前無いでしょ。だからA子と言う。私なぜタイヤル族の名前付けないの?皆も日本の名前大体使ってるから、慣れてるでしょ?どこ行っても「A子!A子!」って。中国行ったら中国の名前で呼ぶよ。
筆者:そしたらA子さんは日本の話は、何歳の時に初めて話すようになった?
A子さん:その時ね(日本時代)終わりの時でしょ。その時大体5つらしいよ。だから幼稚園も入ってないです。だから日本の教育は大体1年生だったら勉強してるでしょ。だいたい4歳5歳。うちの時ちょっと覚えがあるけどその時戦争でしょ。飛行機来たら独房(防空壕)入るでしょ。その時私3歳か4歳らしい。大人が連れて独房の中隠れるよ。激しいよその時。わー!ってこの時もう…終わりよ…。
Bさん:怖かったですか?
A子さん:怖いよ…飛行機見たらもう怖いよ。
筆者:6歳までは怖い思い出沢山ある?
A子さん:そう。いつもテレビ観るでしょ。2、3時のものでもテレビ開けたらずっと戦争してるでしょ。激しいよ。アメリカも台湾いる、中国も台湾いる、いつも夜新聞、テレビ見ても台湾もちょっと危ないらしいよ。アメリカ台湾の面倒見なかったら台湾終わりよ。どうなるか分からないね。
Bさん:A子さんは初めて学校で勉強したのは、中国語から勉強してるんですよね?
A子さん:難しいよ。よく勉強しないと難しいよ。お話し覚えてね。覚えて、頭に、お話として。
Bさん:国民学校の先生は、平地の人ですか?大陸?
A子さん:大陸の人が、沢山。激しいよ、沢山。勉強、激しい。できない時は、こうして、叩く。激しいよ、とっても激しい。皆怖いよ。
Bさん:先生はタイヤルの話はできないですよね?
A子さん:できない、全然、できない。知らない言葉(中国語) を話してて、よく聞くと、頭に入るね、聞くもできるね。
Bさん:どれくらいで話せるようになりましたか?
A子さん:やっぱしお話ししないと、少ない方ですよ。よくあの、こうお話しするでしょう?その間に、頭に入ったら、できますよ。
Bさん:学校でタイヤルの友達と話すことはできますか?
A子さん:友達とはいいよ。
筆者:国民学校の時?
A子さん:友達とも北京語よ。学校は北京語話しなさい、勉強しなさい、日本とかその他の話はダメよ。
筆者:お家とかお母さんは?
A子さん:ほとんどタイヤル語で。今だったらちょっと同じくないよ。もう今は中国長いでしょ台湾、だからほとんど中国語よ。今だったら外行っても北京語。
筆者:お母さんは?
A子さん:あまり使わない。お母さんとは皆タイヤル族のお話しする。
Bさん:さっき礼拝に参加させていただいて、牧師さんが話すタイヤルの話は、時々日本語入ってますね。
―雑談―(牧師さんの話)
筆者:A子さんはいつから教会行き始めた?キリスト教はいつから?
A子さん:大体…小さい時らしいよ。よくあの、キリストのあの、仕事の方はね、入ってきて、向こう信じてきなさいと。教会行きなさいと。大体小さいよ。7、8歳かその時、あの時教会も小さいよ。
筆者:お母さんも一緒に行ったの?
A子さん:はい。
筆者:じゃあお母さんも一緒にキリスト教?
A子さん:天主教は下の方でしょ。原住民が少ないね。あまり行かない。
―雑談―
筆者:あれ、A子さん、踊り(工作隊)行ったんだよね?何で行ったの?
A子さん:あの、どうなったかね、うち呼んでね、来なさいって、(烏來郷で)1人だけよ。台湾省三十何人呼んで。
筆者:タイヤル族何人いた?
A子さん:タイヤル族は10人あるよ、南部、台中もね。男大体16名、女も16名。
筆者:その工作隊が2年間だっけ?
A子さん:そう。金門も我也去了。
筆者:金門は何で行くことになったの?
A子さん:別の、別の会社。あれは林務局。木ね、台湾も日本もあるでしょ、木の係。その会社(が)呼んだの。練習行ったですよ。金門行った。中国と台湾と…喧嘩の時よ。危なかったね、夜も昼も、ボンっ!!て怖いよ。
筆者:何で怖いのに行ったの?
A子さん:分からないでしょ。戦争してるか分からないでしょ。行ったらね、皆着物(服)色無い。昼間も黒い、夜も黒い。
筆者:兵隊さんと一緒?
A子さん:老軍,給軍人表演,怎麼講…
Bさん:兵隊さんとこ行って励ましたわけですね?
A子さん:對對,皆兵隊さん、大体100名。その…その場所(踊る場所)は(部屋の)中の方でしょう。だから黒いじゃなくて。
筆者:踊らない時は兵隊さんと同じ服?
A子さん:對啊,激しいよ。
筆者:あれ、楊さん(同郷の楊火輝さん)の後でしょ?
A子さん:楊さんの、その前に行ったよ。けど、兵隊さんは2年でしょ。うちは1週間行って帰ったでしょ。その後823でしょ。8月23日金門バンッ!て。学校やられた皆。うちは6月行った。金門は823。2ヶ月前。
筆者:A子さんは金門行く前に、戦っていることは知らなかった?
A子さん:知らないよ、教えないよ。戦争の所行くなんて言わないよ。言ったら怖いよ、行く人なんて居ないよ。
Bさん:じゃあ行って大砲の音聞こえてびっくりしますね。
A子さん:そうそう、もう眠られないよ。いつもボンっ!ボンっ!て。声出たらびっくりするでしょ。早く帰りたいよ、危ないよ。夜なると表演でしょ。兵隊さん喜ぶよ、ワー!!って嬉しいよ。
筆者:それは工作隊の仲間と一緒?原住民?
A子さん:中国もある、原住民もある。工作隊の仲間と別だけど、科目は大体(同じ)。月給と、踊りね。この会社ね、木を切ったり植えたりとか。
筆者:林務局がA子さんに言ったの?
A子さん:そう。親玉(林務局の上層部)は、国民党の前の文化工作隊のね、お話しして、はいと言って、皆じゃなくて、選んで、代表者を。
筆者:烏來からはA子さん一人ですか?
A子さん:はい。
Bさん:なんでA子さんが選ばれたんですか?
A子さん:おそらく…歌らしいね、踊りね。
筆者:後綺麗でしょ、A子さん。昔の写真見たことあるよ。
A子さん:はは。
Bさん:選ばれて嬉しかったですか?
A子さん:その時若いだからまだ分からないね。行った時、沢山の所々、皆同じく無いでしょう。先行った時、台北の小学校のところでね、あそこで。あそこで踊り習って。一ヶ月は夏休みあそこで…踊り…習って。9月でもう全省。ほとんど原住民の部落。兵隊さんも同じよ。練習時はどこも行かないよ。うちなんかは台湾に兵隊さんの着物で。靴も同じ色、兵隊と同じ。国民党やっぱし国家の一番大きいでしょ。兵隊と同じよ。兵隊悪いことしたらすぐ帰るよ家。
筆者:A子さん工作隊は2回行ったんだよね?
A子さん:はい。また1年…1回1年。帰ってきたらまた2回よ。引っ張ったよ。私嫌と言えないよ。代表に行くからね、頑張ってねって。入って。
筆者:2回目行きたかった?
A子さん:あの時まだ17歳よ、何も分からないよ。ハルミ(隣の部落の李春美さん)はその時桃園におった。家族皆桃園におった。桃園代表。
Bさん:工作隊で、全部で二回行って、1回目はどういうところを周ったんですか?
A子さん:全省ずっと行った。2回周った。そしたら林務局でしょ。金門も行った。
Bさん:1年間ずっと周るんですか?休みは?
A子さん:所々、台中、南東とか回るんでしょ。原住民の部落はその時歩いて行くの。8時間も歩くよ。6時間も歩く。こっちから、福山の方ね、歩いて行ったら4時間。
Bさん:それを歩いて行ったんですか?
A子さん:車ない所は歩くよ。こんな山でも歩いたことあるよ。台中から南投ね、山歩いたよ。疲れるよ。痩せたの。あの時は痩せたの。原住民の文化のためで中国(文化工作隊を)作ってね、これね、作ったの。
筆者:兵隊さんのためじゃないの?
A子さん:それは林務局(宣伝工作隊)。金門行った。
筆者:じゃあ(文化)工作隊っていうのは原住民の部落?
A子さん:ほとんど原住民の部落。
筆者:A子さん林務局で働いてたの?
A子さん:林務局は国家の一番小さくないよ、国民党の国家でしょ。皆一つ皆一緒よ。これも、大きい。国民党も大きい、皆一緒になってるよ。管我們呢,管理する。警察庁とか、皆管理する。中国でしょ。同じだから你有這個, 他也有參加。他也早以前。以前…民進黨以前是中國國民黨。最大的。國民黨,台湾省でしょ、教育長、警察、あるでしょ、みんな也是一群。心裡一起。公司一樣, 心裡一起。会議するよ、毎日。每個月開會一次。その後は、部落でもある。部落でも皆国民党入ってる。
筆者:A子さんも?
A子さん:そうよ。14歳の時ね、国民学校部落で行ったでしょ。国民党の黨證,くれた時、初めて分かる。国民党入ったって。我現在也是國民黨啊。我不、民進黨じゃない。卒業して文化工作隊に行ったでしょ、行った時にすぐ入れて。国民党入ったのも(民国)一百多年呢。
筆者:A子さんが入りたくて入ったの?
A子さん:沒有呢。
筆者:工作隊も?
A子さん:そうよ、(工作隊)入ったらもう国民党の仲間でしょ。
筆者:A子さんは工作隊の後に林務局でお仕事始めた?
A子さん:對,
筆者:向こう終わってから、ここ(林務局)に入った?
A子さん:これがお金比較多了,国民党が国家の管理して…国民党入った時1ヶ月100円だけよ。その代わり靴下とか靴とか全部国家が出してる。林務局の時は台北におった時はお金安くない。台北離れたら、仕事行ったら、1ヶ月お金大きい。たくさん。だから1ヶ月いれば大体、台湾の一千ちょっと。大きいよ。国民党が100円だけ。
筆者:100円だけは(山地文化巡回)工作隊の時?
A子さん:そうそう、皆国民党のため。
筆者:林務局の仕事は台北?
A子さん:そうそう、皆台北よ。對,我們都臺北。国民党の時は、やっぱし給我們有地方住啊。台北の林務局の時1ヶ月ちょっと、一千ちょっとよ、もう忘れたけど、比較大。国民党のあれ、1ヶ月100円は皆お母さんにあげる。何も使わないでしょ。
筆者:ご飯は?
A子さん:ご飯皆毎日一緒でしょ。どこ行ったら皆同じ。あるよご飯炊くの。二人専門のご飯作ってくれる。どこ行っても一緒よ。
筆者:美味しかった?
A子さん:脂っこいよ。
筆者:どうゆう表演したの?
A子さん:一人の踊りもあった、団体の踊りもあった。
筆者:歌は中国語?
A子さん:そうです。
筆者:覚えてるのある?
A子さん:忘れたでしょー。もうその時はまだ若いでしょ。今も歳だからもう…忘れてるよもう。
筆者:工作隊の時授業もあった?工作隊の勉強した?
A子さん:やっぱしあるけど普通の学校の勉強じゃないの、善いことして、悪いことしないで、その関係で勉強するだけ。もしどこ行ったら悪いことしたらいけない、とか、これがダメ、とか。皆教えてくれるよ。
筆者:毎日?
A子さん:やっぱしよ。善いこと教える。悪いこと教えない。皆、はい、はい。国家が怎麼樣, 也會給阿。頭が、国民党に入る頭ないと。
筆者:三民主義とか?
A子さん:やっぱしね、普通の善いこと教えてもらうよ。
Bさん:ルールとか?
A子さん:はい。悪いことしちゃいけない、悪いことは法律とか、林務局の歌もあるよ。もし仕事の時その歌もある。国民党の仕事もあるよ。歌もあるよ。
Bさん:歌えますか?
A子さん:忘れたよ。やっぱし見ないと。もし分かった時、恐らく分かるけど。今もう長いだから。あの歌も、いい意味ですよ。どんな良いことするね、悪いことしていけない。これもやっぱし勉強。
筆者:金門行く前歌とか踊り練習した?
A子さん:はい、しますよ。1ヶ月。
筆者:1ヶ月も?
A子さん:はい。練習するよ、国民党激しいよ、色々な踊りとか、歌。皆先生、読んできて、教えて。
筆者:A子さんは元々歌とか踊りが好きだった?
A子さん:いや、一番初めはね、国民党長くない。この部落はね、部落は女性ね、結婚してないお嬢ちゃんじゃなくて、結婚した若いのでもね、皆郷公所に一緒来て、烏來の方で、ここで住んだ。大体1ヶ月くらいね。それで踊りとか練習して、この部落の所で皆観に行って、うちなんかは踊ったり色々あるでしょ。その時知らない、私もあるでしょ。なんで私一人かな。可能是我會唱歌。很多人呢, 他們叫我一個。我是國民黨的那個時候,唱歌會唱啊,上場的時候我害怕呢。我很害羞啊,我在唱歌。他們都說,“妳笑,笑啦!”,我不會啊, 我很怕。他站在旁邊。我很怕!可能他們不知道我害怕了。我很怕!唱歌是唱歌。我還在發抖。現在烏來有原民會阿。都有比賽,唱歌呢。本來叫我去,但是我很怕啊。第一名是3千塊啊。但是我會很怕。我看到那麼多人, 我會怕!
筆者:可愛~、哈哈。
A子さん:對啊。你不要怕,我在裡面發抖。
Bさん:でもA子さん一人で歌うこともありますよね?
A子さん:對啊, 所以我很怕。でも沢山の人いるでしょう。歌上手いね。震えるよ。そして終わったら、而且烏來的那個以前日本人來看跳舞啊,有很大的舞台啊。裡面有一百個人,每天唱的那個歌。他們叫我去比賽。我不要…哈哈。我一段給你聽。原住民の歌。她要唱這個歌,他們去比賽呢。我怕。我不要。最怕。我心臟不好了。少し歌、歌うね。
―A子さんがタイヤル語の歌を披露―
筆者&Bさん:わーすごい…綺麗…!
A子さん:これ原住民の歌でしょ。まだ中国の歌もある。一緒にこれ終わったらこれね、これが日本の歌。毎日あそこ(部落の観光地)で歌やる、私じゃなくて若いの方が。
筆者:A子さん凄い上手よ!綺麗!感動した!今歌った歌は、日本人観光客が来た時に歌った?
A子さん:はい。
筆者:昔からある歌?
A子さん:はい。長いよもう。原住民作った歌。その後は中国の言葉で歌をね。その後はね、日本の歌。日本人皆、大好きよこれ、喜んで…。
Bさん&筆者:感動した!!!
A子さん:我的師父,聲音很好。嫁さんも上手よ。
筆者:A子さんも歌ってほしい!
A子さん:沒有了!
筆者:今の歌は子供の時はまだ無かった?
A子さん:無い無い、この会社ね。山胞公司(烏來で有名な観光・ダンス専門店。周萬吉さんの姉、愛子さん創設)の時に初めてこれ作ったの。
Bさん:愛子さん(同部落の周萬吉さんのお姉さん)の会社ですか?
A子さん:うーん、愛子さんの会社じゃなくて、この会社はやっぱり52人の会社。あなたが株主、幾つで、皆が52人の会社。愛子はその中で選挙する。愛子さんはその中にいる。道の端の方に、会社作って、あそこで踊ったのよ。大体十何年かな、自分で商売してね、踊り子もやったの。お客さん多いでしょ、日本人。皆でお話しして。この愛子さんの踊りね、辞めて、皆話して。皆大きい株移して。会議してその後ようやく愛子さんがね、皆あそこに作ったの。あそこにその中で、入っている。
筆者:A子さんはその時観光客の前で踊ったりした?
A子さん:踊ってない。全然踊ってない。向こうに私参加してない。私工作隊行ったでしょ。愛子さんもだから来なさいと言ったけど、愛子さんの所行けない。お仕事があって。愛子さんも私親戚ですよ。愛子さんの姉さんが私の主人のお母さん。
筆者:他の歌何か覚えてない、A子さん?
A子さん:私やっぱり歳だから、私見ないと忘れたでしょう。時たま昔カラオケで歌ったできますよ。でもあまり行かない。我還沒結婚的時候,我在台北唱歌,那個時候沒有很久,
筆者:子供の時から歌が好き?
A子さん:私はその時まだないでしょ、田舎だから。学校の時でも出て行ってないよ。何もないよ。
筆者:じゃあ工作隊に入る前に初めて歌うようになった?
A子さん:そうそう、初めて練習して。
筆者:お仕事は楽しかった?
A子さん:うん。大好き日本の歌大好きよ。初めて日本行った時は、愛子さんの踊り子は歌も好きよ。よく日本行ったときね、日本のこれ買って帰って。台風でどこ行ったかわからないよ。うちの部屋でももう水よ。だから品物沢山ダメになった。
Bさん:A子さんは子供の時の日本の歌は分からないですよね。
A子さん:分からない。
筆者:じゃあ戦後にいろんな?
A子さん:あのね、一個團體,あの時40歳よ、愛子さんがいつもね、行きましょう、あなた歌好きだから行きましょう、って。台北で2回踊り練習して、山梨県行ったのよチャイナタウン。三ヶ月歌を。降りたら私も歌歌う。踊り子も。私ああして私も。寒かったよあの時。12月行ったの。我喜歡比較喜歡的日本歌本。小林幸子。我也唱過。我有唱歌。
筆者&Bさん:えー!持って来ればよかった…
A子さん:我沒有那個歌本,找不到了麼,我去台北問來問去,他們有啊~!所以買一本回來阿。我會看字阿!有國語的事, 平仮名、カタカナ付いての我比較會看。我就去買那個,日文不會啊。我去買那個,あいうえお、かきくけこ、我買一本大的。我睡覺,我看那個牆壁那邊呢,每天看,有一點學到了。所以我有一點概念。錄影器啊, カセット,我就買會聽了。
―雑談&お昼休憩―
Bさん:警察の思い出とかはありますか?
A子さん:無いねえ。まだ小さいからね。お母さんの時代だったら日本の教育は皆…うーん、とても寧可,他們那個像部落,早上全部都要去啊,那個…學,很雄噢,大家穿一樣的衣服啊,很雄呢,雄有好處啊,也是有好的不好的。
筆者:じゃあ大陸来て何が一番変わった?
A子さん:大陸來,変わったでしょ? 很多了, 大陸人喔,
筆者:是好的變化嗎,還是不好的?
A子さん:都有。有好人,也有壞人。像台灣,中國也有那個…生活的錢也有拿…這樣子。日本也是會國家的錢他也有,他去走路,這樣子。
Bさん:大陸から来て一番良かったことはなんですか?
A子さん:そうねえ…對了, 他們…來台灣剛開始是,有自由。好像比日本有自由一點。對,自由一點。日本的話,日本很雄,管的很嚴格。他們說,像日本時代那個時候,出去買東西的時候,一定有一個張,給你錢。我去新店買衣服的話,一定要這個才可以買。
筆者:国民党来てから少し自由になった?
A子さん:ちょっと自由になった。その前日本は…哇~很嚴格。對啊…好像…中國比較自由一點阿。可是自由的話…壞人就很多了。你嚴格的話,比較…壞人比較少了。可是現在的還不錯了。有的國家,馬上給你打死,馬上打死。可是中國還可以,法院可以殺死。工作有點自由,錢(全?)給他了。在裡面這樣很久也沒關係,還有跟別的國家打死人的。台灣是除非你打死三個人會被槍斃。最近有一個人年輕的不是老的。他的案(案件)打死三個人所以他最近被槍斃。
Bさん:国民党が来てからは、この烏來は自由になって、でも悪い人も増えてしまいましたか?
A子さん:やっぱしあるよ。比方說了,烏來有鄉公所,公務人,我們以前,光復以後有,做國中とか議員とかあるよね。お金盗る。選挙、お金盗るね沢山。沢山だからね、皆これ越來越不好。沒做壞事。不會進去呀。你沒做壞事。像我們這個鄉長前面幾個很好。もうその後もお金盗るでしょ。とったら皆。現在,比較混雜了。對,皆親戚お金盗るでしょ。とったらもう何年も(刑務所)入るよ。
筆者:戦争が終わって、光復之後有這樣的情況嗎?
A子さん:光復以後沒有。這是最近。20年或21年啊。全部都是進去。光復的時候,好的部分是自由一點的。那壞的部分是……
筆者:壞的部分呢?
A子さん:應該是…怕政府啊, 國民黨啊。最近,民進黨是這樣子,壞人比較多了。民進黨,台灣人比較多,不好呢。心ダメよ。
筆者:なんで心ダメ?
A子さん:台灣人,你知道嗎?台灣人這是,那個到烏來進來做生意,心裡都很壞。我們以前那個…新的橋有沒有,他不讓給我們蓋呢。我們去異議呢,我們的鄉長想辦法會去,要不然,我們要從山上要走路,不來燒一圈,一個鐘頭,兩個鐘頭,走路走到家裡。對啊,後來,民進黨來,我覺得你們民進黨很壞,你拿錢,他也拿錢,都拿錢看,越來越不對人。民進黨就是台灣人。以後,…民進黨怎麼講?
筆者&Bさん:民進党(みんしんとう)。
A子さん:啊,みんしんとう不好。不好呢。心裡不好。他們討厭我們原住民。
Bさん:A子さんは国民党が来た時には怖いと思わなかったですか?
A子さん:是…那個時候,還年輕啊,沒有感覺。應該是,對我來講,比較喜歡國民黨。後來,民進黨來以後,國民黨的人也有台灣人嗎, 所以妳是台灣人呢, 國民黨的,山地人的,什麼也他們壞人,這樣子。對啊…。
筆者:你覺得烏來的山上的人都支持國民黨嗎?
A子さん:以前就全部都是國民黨。全部都是國民黨。後來,這個民進黨,有一個黨,有了以後,就很亂了。我們這邊也有民進黨的人。對啊,以前沒有的時候,大家都很好啊…大家都是朋友啊…從民進黨來以後,民進黨好處給我,我就去你那邊,去那邊有我有拿(好處),這邊的人也跟著去,就變很大,亂了,本來沒有民進黨,我們這邊變很多民進黨……。對,選舉的時候就會這樣,一定會處處講,你給錢,我有拿,我拿錢你也知道,你有講,講來講去大家都有拿錢,所以民進黨不好,心悪いよ。 Bさん:A子さん那個工作隊的時候,為了國民黨工作,這樣的情況自己覺得光榮的感覺嗎?
A子さん:對,我的觀念,我是國民黨。 Bさん:工作隊的時候也為了國民黨,做這個是對A子さん的家人有光榮的事情?
A子さん:應該是走(做?)光明的路,做好的話是很好。做的不好的話,我不會說好。因為我感覺上,國民黨前面很好,後面有民進黨的長官,他給你(好處)呀,你被(民進黨國民黨他們)拉來拉去,變很複雜,又變成國民黨他們(的人)。
Bさん:工作隊とか金門等にいらっしゃった時は、国民党の為にお仕事をしていると言う気持ちがありましたか?
A子さん:ええ、ありますよ。
筆者:じゃあやっぱり嬉しい?
A子さん:嬉しい。很平安呢。很平安。その為に頑張ったよ、我們,我們原住民啊。不錯了。對,
Bさん:じゃあ民進党ができてからいろんなことが混乱してしまった?
A子さん:對。そうそう、その後民進党入ってから分裂したよ…
Bさん:別れちゃった?
A子さん:そうそう、昔は国民党皆選挙が一律。皆が協力してね、国民党と。後來,民進黨後,國民黨也是壞掉了。因為民進黨就是,台灣人呢。國民黨嘛,後來,民進黨以後,變壞了。很壞,民進黨很壞了。
Bさん:ウーライの人たちの考えがバラバラになってしまった?
A子さん:そうそう。我覺得不好呢…民進黨不好。他們開會,電視裡面開會很壞。對啊…以前國民黨來永札的時候沒有這樣子啊。我都是國民黨,他們也都是,加入國民黨得很好。結果,是怎麼樣,是怎麼變壞的,だけど民進黨是後來有權利的那個一個黨嗎,他們成立以後,他們在後面就是搞壞了…搞壞了,要搞壞國民黨,他們想要國民黨回大陸去。這樣子,慢慢慢慢,這個人的頭腦一直洗一直洗。他麼就會,就是變更民進黨了。這是這樣子。原本都是好好的,好好的國民黨啊。以前差不多30年還是…40年,國民黨都好,沒有怎麼樣,都很好啊。後來跟民進黨一樣,亂了。弄得亂七八糟…。
Bさん:民進党ができる前の国民党だけだった時は、街が発展しましたか?
A子さん:對啊,大家都很團結。國民黨要怎麼樣啊,現在很雜了,應該在日本也是有民進黨吧。
Bさん:現在沒…民黨名稱改成了。
A子さん:名稱改成了?
Bさん:對對,現在是…民主黨。
A子さん:也是日本人?
Bさん:日本的民進黨,以前有。現在改成了。
A子さん:哈哈…恐怖哦,那個民進黨。那個立法院, 立法院那個國民黨でしょ,(有時候)也是國民黨,他們去鬧,行政院呢,很大的那個,很大的開會,他們會把東西都把…亂得很糟糕。我電視看得很怕!很壞,很壞!所以到現在,還在搞亂了,還在搞了!
Bさん:今の蔡英文総統は、恐ろしいですか?
A子さん:蔡英文,他是一個女孩子。你說…旁邊的人壞的話就是很壞啊,好的話應該是好阿。對不對?就是這樣。對啊,你的觀念,台灣沒有好。獨立呀。她就想辦法台灣是她們要…拿錢還台灣人的地方。可是,不是這樣啊,你要想想,民進黨還沒有的時候,國民黨來的時候,這個台灣他們建設啊,十個建設,蔣經國,十個建設裡面就是他弄的。他弄起來,不是國民黨呀,不一樣啊。不是國民黨的幫助,加油,橋啊,什麼都有很多地方整場了,對啊。民進黨,他們不但沒有感謝,而他想要獨立啊!台灣想要,他們要管。但是國民黨也是,他們不可了。所以我也這樣子吵架了。吵得很厲害,叫大陸人回去呢!很壞啊!
Bさん:A子さん無法理解台灣人要獨立台灣的這樣的事情?
A子さん:對啊,我們不喜歡…因為台灣人心裡不好,台灣人真的不好,他們不可能了!他們有獨立大陸就以後打過來。香港要獨立嗎,現在還是大陸在管呢。他要把台灣拿回來,不要給國民黨,這樣子。叫國民黨全部都回去大陸,就樣子。不可能啊。國民黨台灣還是有啊,人也是多啊。民進黨來以後,他們就挖(人)~!挖了以後,本來是,挖到太多了,台灣人全部都拉過來。國民黨這樣子人就比較少了。因為他們來的時候,我也七歲了,年紀大了, 有的死掉了,退伍軍人來的時候,死掉的人也多。他們人變比較少一點,(民進黨)沒有拉(人)的話,(民進黨)應該是沒有了。(民進黨)拉(人加入民進黨)啊,一直拉,一直拉,一直到…這樣子!國民黨真的是很可憐呢。他們一直都欺負國民黨呢。“回去拉!!!” “ 回去拉!!!”怎麼這樣?台灣沒有國民黨,弄起來,弄漂亮,這裡也是弄的很好啊,很自由啊!!哪裡有不好?對不對!民進黨剛成立,有沒有50年,搞亂了!很壞!
Bさん:A子さん覺得,那個民進黨說的台灣獨立是為了台灣人的獨立,
A子さん:對對!
Bさん:所以,對原住民的A子さん來一家,沒辦法接受的立場,
A子さん:對對對!我們不喜歡台灣人啊,我們喜歡是國民黨,管比較好啊,也比較自由啊!他們會很亂了,真的是很不好!我們在看電視,怎麼這樣子!為什麼做壞事,不做好事!做壞事!
Bさん:民進黨だと台湾はバラバラになっちゃいますか?
A子さん:そうそう!本來是很安靜,很安全的一個地方嗎。台灣。結果民進黨這樣子,弄的亂七八糟!…對啊。
Bさん:A子さんは,自己認為中華民國人,或者不是這樣子?
A子さん:對啊(?)
Bさん:中華民國人不能接受嗎?
A子さん:對對對,不能接受這個,你是來幾年而已啊,對不對。國民黨來幾年了,60年了,怎麼想要他們回去啊,對不對!不可能啊,對不對?所以現在很亂,那個大陸總統呢,他是說想要台灣呢。所以民進黨他也是很流利地說,“不要給你”。年紀大的台灣人說,“我們的土地”!他說,民進黨他說“台灣是我們台灣人先來的,你們大陸是後來的”!其實,應該是,國民黨先來。對阿…他們人很少啊,國民黨人很多啊,國民黨當然在上面(執政)的人,所以他們(民進黨)拉人 慢慢慢慢變多人,慢慢慢慢拉拉拉,想要國民黨回到大陸去。有一次鬧得很厲害的時候,一直叫大陸人“回去!”“回去!”那個選舉的時候,我掉眼淚了。(A子さんが泣き始める)國民黨,我在電視上面哭啊,很壞,國民黨…我們原住民也不喜歡民進黨,對啊。來幾年啊,來照顧我們台灣的,什麼東西都是國民黨給我們弄的。你叫他們回去,回到那裡?!他們已經來台灣很久啊,50年了。對不對?他們從大陸來台灣也超過50年啊,國民黨在台灣60年了。民進黨在倒搗亂。蔡英文她是大陸人,應該是大陸人呢。不是大陸人的話,應該是大陸人給民進黨洗腦了。對阿…。
―A子さんがすすり泣く―
Bさん:A子さんは、国民党はもう何十年も国民党の土地にいて、ウーライとか土地のために建設をしたと。十大建設…
A子さん:對,十大建設,民國54年當時蔣經國。對,民進黨他們很壞!他們想要台灣…怎麼可能啊。他們的國民黨的歷史比較久阿。國民黨做得很好,比他們(民進黨)好啊。國民黨不是說沒有壞人,以前壞人比較好啊。民進黨不是。很壞!!
Bさん:例えばこう、A子さんが、こう…あなたはどこの国の人ですか、何人ですかと聞かれたら、A子さんはどう答えますか?
A子さん:我會想說,我是原住民。真正的是,原住民,對啊。我是原住民。最早,台灣是,聽說是,荷蘭還是哪裡來,先向來這個地方。結果他們就回去啦嘛,我們原住民就來台灣,原住民本來住在台灣呢。我們出生在台灣嗎,後來就有原住民呢。我們的土地就是台灣呢。他們也不能給我們趕走。對不對。
Bさん:じゃあA子さん原住民と、戦争が終わった時にきた中華民国人、也是不一樣的
A子さん:對對對,也是不一樣的。(他們)都是大陸來的。那個時候,民進黨他們沒有人很少。人很少。所以他們話不大。お話を聞かない。因為人少嗎。後來,慢慢慢慢人多了,去拉那個國民黨的人,去啦那個國民黨的台灣人,就是這樣子人多起來。這樣子。看得很難過。打仗一樣啊,在電視啊,看到搗亂呢,他們開會在什麼地方他們在打仗,看得很累。
Bさん:今までの団結が崩れてしまっているんじゃ無いかって言うことですね。
A子さん:…
Bさん:バラバラになってしまった
A子さん:そうバラバラになってる。でも我們原住民是沒有バラバラ。只有我們原住民,在台灣呢,全部台灣大概有500人位。大概500個有。南部,北部,中部,一起,大概有五百個。其實,他們不敢欺負我們原住民啊。那個民進黨呢,不欺負我們,因為我們原住民土地是台灣的。我們出生在台灣,我們的祖先就在台灣呢。聽說,以前有荷蘭呢,結果荷蘭回去了。原住民就在台灣嗎。他怎麼來的不燒得,我也不燒得的,歷史上是應該有了,原住民是從哪裡來。這個台灣,還沒有人住的時候是荷蘭有人過來,後來原住民是怎麼出來我也不知道。聽說是在南投有一個山呢,有南投一個石頭,他說那個石頭有歷史呢,老的人說,我們是南投的石頭那邊出生的。這樣子的。我們是還不知道。有時候他們也去帶啊,去那邊南投看出生時那邊呢。南投是台灣的馬。對啊。
Bさん:所以A子さん從小有聽過這樣的傳說嗎。
A子さん:對啊。我年輕的時候就有聽過。南投,仁愛鄉,那邊有一個石頭, 很大的石頭,老人呢。他講,泰雅族啊。不是布農族啊。泰雅族。他說我們那邊出生的嗎。這樣子。我們泰雅族有去拜,這樣子、、、、
Bさん:ありがとうございます教えていただいて。勉強になります。
筆者:A子さん教えてくれてありがとう!すごく勉強になった!
A子さん:石頭那個,我也去過兩次。對啊,台灣去過嗎,跑兩次啊。
筆者:啊,那個工作隊
A子さん:對。兩次,所以什麼地方我還很清楚。我都很清楚。對啊。那個時候山上呢。從那個山上,跟那個南投的山上,石頭那個地方啊,走路要八個鐘頭,山呢,沒有人走路啊,我們就這樣子走過去。那個時候也在那邊。那個時候我還年輕,16,17歲。對啊。那個地方很特別啊…他們怎麼住那麼高的地方呢!…36個人呢,有時候走不動啊,就在哭啊, 走不動,很累,他們就哭呢。我還好,我16歲,17歲,我走路走到前面去。我很瘦嘛,好快走路。哈哈。他麼說,不要走她前面去啦!我還好年輕嘛,有的是二十多,三十多歲了,他們走不動啊。
筆者:也有三十多歲的人?
A子さん:有!!!南部的男的。女孩子十幾個,十六個呢。差不多,二十幾歲的比較多了。三十歲的比較少。像我們比較年輕的…算年輕的了。第一個還不到十六歲,第二次去的時候,還算是年輕的了,像ハルミ一樣。ハルミ小我一歲,最年輕的。以前ハルミ沒有胖,很瘦阿!
筆者:へ〜!ハハ
A子さん:我跟ハルミ很好啊。她是第二期去。我也第二期去啊。我師父的媽媽,過世了,但是他也是第二期的台中的代表。我是台北縣的。很累,他們走不動,一直哭啊。
筆者:走不動的時候國民黨他們沒有罵你嗎?
A子さん:對啊…?
筆者:他們沒有罵
A子さん:不會了,不會很兇了啦! 你沒有做壞事不會給你雄啊,你做壞事的他們給你兇啊!哈哈
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