Kim Choo Wol (pseudonym) discusses her early life in Japan, her return to North Korea, and her defection to South Korea.
Kim Choo Wol was born in Haman, South Gyeongsang Province, South Korea, in 1940. She has no memories of her time there. At six, she was taken to Nagoya, Japan, by her parents. Her parents, poor after the war, ran a fish shop at a black market in front of the station, and her father died early. After that, Kim sold rice at the black market with her mother to support her younger sister and three younger brothers. Since her childhood, she loved pretty clothes, particularly, pink and glittery ones. In her school days, wearing high heels to work was a great pleasure. Although she attended a chōsen gakkō (Korean school), by the time she entered junior high school, she was so busy with work that she frequently skipped school. As a result, she does not remember studying much. In her third year of middle school, her mother was diagnosed with breast cancer and began to be hospitalized. From then on, Kim mostly ran the shop by herself.
After her mother’s death, she went to Osaka to work, and in 1960, her grandparents offered to take her 12-year-old younger sister back to North Korea. Since Kim lived far away from them, she did not know about it. Her grandfather ran a rice shop with his Korean friends, who invited him to join them. He was told that if she returned to North Korea, they would provide her a house to live a worry-free life. Kim felt bad for her sister having to go to North Korea alone, and rushed to North Korea in October 1960, three months after her sister left. Kim dressed in her favorite pink Chima Jeogori and high heels to board the ship to return to North Korea, but when she arrived, she was shocked to see the North Korean residents who had come to pick her up wearing black rubber shoes with shabby white Chima Jeogori (Korean short jacket and skirt, women’s attire).
Kim was assigned to the outskirts of Nampo and worked in a truck factory. In 1965, she married a man from China whom she met at the factory and had three children with him. The most challenging part of her daily life was making a fire during her housework. Every time she had to make charcoal briquettes to start the fire, her face would turn black, and it was tough. After giving birth, Kim learnt her favorite craft of becoming a beauty artist, and worked at a beauty salon. However, her husband died early. She has continued supporting her family, working as a beauty artist since then. Further, she was also awarded for volunteering to work at “patriotic labor” sites such as highway construction. Kim shares that she had a patriotic heart and mourned Kim Il Sung’s death.
In 2000, her daughter's husband was arrested while trying to catch a dog. The family was initially informed that he “suddenly committed suicide,” but later it was revealed that he had been tortured to death. The police officers who inflicted the violence admitted their guilt, but the family was only paid four boxes of charcoal briquettes as compensation. Kim decided that she could not stay in a country where violence prevailed and defected to South Korea.
She now lives in South Korea with her son and daughter. She occasionally works part-time to send money to her sister and other daughter, who remain in North Korea. Despite being over 80 years old, she still works hard for her family. Her lingering regret about defecting is that she left all her photos from her youth behind in North Korea, and cannot remember what she used to look like as a young girl.
F: Interviwer
K: 金秋月 김추월 Kim Choo Wol
F: はっきり話すようにします。マスクはちょっととっちゃいけなくて、今。どうしましょう。私が先に質問しましょうか。それとも、話したいということを先に聞きましょうか。…先に聞きましょうか。
K: 聞くのは聞いて、私が言いますから。その後に言うた方がいいんじゃないかと思うけどね。
F: 分かりました。前に話していただいたことも、なんでしょう、重複すると思います。前も話してくれたけど、同じことを2回質問することもあると思うんですけども、改めて、録音という形で残したいので、よろしくお願いします。
K: 忘れちゃった。何喋ったか。
F: ではすいません。録音で、2021年の9月22日。O駅の近くで、K선생님のインタビューを開始します。よろしくお願いします。では改めて、생년월일を、お誕生日を伺ってもいいですか。お誕生日、何年生まれですか。
K: 1940年…12月。
F: 7日でしたっけ。
K: 12月。
F: ですね。20歳の時に…
K: 北朝鮮へ行ったの。
F: 生まれたところが名古屋。
K: 名古屋。駅の裏。
F: 名古屋駅の裏。すごい都会だったんですね。
K: 朝鮮の人は多いとこ。有名なとこだよ。名古屋の駅裏といったら有名。今は全然ないけどね。
F: そうですか。ご両親、부모님は남한出身ですよね。
K: ええ。남한의 함안(咸安)。
F: ハマン?
K: 마산 밑에. 마산 밑에。
F: 마산 밑에!お2人ともですか?
K: それが、今は、うちから行った時はあったけど、今は軍隊がそれ、立ち退きなって、みんな軍隊が入ってきたの。군북. 함안 군북 .고향이 그렇게 있어 말이.
F: で、2人は結婚してから日本に来たんですか?それとも、日本で出会った方ですか?
K: あたしが?
F: 부모님。
K: 부모님?韓国で結婚してから、日本へ2人とも行ったの。
F: そうですか。一緒に来たんですね、じゃあ。
K: 私は、後で。お母さんと後で。先には、お父さんは息子2人連れて、もう先に行ったんよ。
F: K선생님は、남한で生まれたんですか?
K: 生まれたのは、남한에生まれて。
F: そうでしたか。
K: 小さい時に行ったみたい。
F: 6歳の時。
K: 6歳か、7歳の時に行ったみたいやな。
F: そうでしたか。なんで名古屋に行ったんでしょうか。
K: 知らない。お父さんがそこに…。
F: 仕事があったんですかね?
K: 仕事はなかったの、その時は。昔は、だから、魚屋さんしてたって。
F: 魚屋さん。
K: うん。
F: そっか。40歳…。해방 전에…
K: 해방 전에行ったんよ。
F: そっか。じゃあほんとに4歳とか5歳の時に…。
K: そうそう、そうみたいよ。
F: 魚屋さんをしてたの。ずっと、魚屋さんをしてる様子は覚えてますか?
K: お婆さんに話聞いたの。
F: なるほど。
K: それから、해방 되가지고 お金ようさん儲けて。ものっすごいお金ようさん儲けたって。乾物してから。ほんで、荷物いっぱい買ってから、北…ちゃうちゃう、韓国来たのに、その品物がみんな…
F: とられてしまう?
K: 창고に入れたのに、みんな泥棒にとられちゃって。盗られて腹がたってから、またお父さん、息子2人連れて日本へ行ったのよ。
F: 1回帰ったのにまた来たんですね。
K: 해방된다음에。すぐ行ったって。それはお婆さんに聞いたのよ。
F: お婆さんというのは、お母さん?
K: お父さんのお母さん。
F: お父さんのお母さん。あぁ、お婆さん。할머니。
K: お婆さん、死んだけど。84歳で北朝鮮で死んだのよ。お婆さんが言うてくれて分かったの。全然そういう話は聞いたことない。それから、うちらはみんな家族を来い言うから行ったのよ。…お母さんとみんなと。今日本にいる弟は、子供、3歳か4歳、産んどった。ほんで日本行って。北朝鮮におる妹、あれは日本で生まれて、2ヶ月目にお父さん死んだのよ。その妹が今おる北朝鮮。妹と娘がおる訳。北朝鮮に。それが、見てくれとんの。妹が、うちの娘を見て、行ったり来たりしてんの。誰もいないやん。ほんで、いとこおる言ったじゃん?うちのお父さんの弟に子供たちがいっぱいおるんや。北朝鮮に行かないんだって。言葉も喋れないんだって。私が韓国行った言うてから。全然話もしないんだって。ほんで、うちのお兄さんの娘たちが、お友達がおるの。元気でおる言うてるけどね。それはそれだけで、話した。終わって。
F: 今まで韓国で生まれて、北に…日本に来られたんですね。子供の時はどんなお父さんでしたか?
K: 何も知らん、私。
F: 覚えてない?
K: うん。全然。
F: でも。いや、違う違う。선생님。
K: あぁ、日本に暮らしとんのは知ってるけど、韓国は全然知らん。
F: では、선생님の子供の時のお話を聞きたいと思います。
K: 子供のうちは、もう日本におる時に…。
F: 可愛いものがお好きだったんでしょうね。、이북에 가실 때도。ピンクのチマチョゴリ着て…という話をすごく覚えてます。
K: 日本に暮らして…北朝鮮へ行く時は、もう20歳の時だから…
F: 可愛い格好して。
K: 可愛くよりも、おしゃれして。おしゃれして行ったよ。
F: 子供の時はどうでしたか?子供の時も?
K: 子供の時はもう、学校行ったり、家でね、お母さんが、お父さんがすぐ死んだから…
F: お父さん、すぐ亡くなられたんですね。
K: うん。
F: いつですか?
K: あの時、何年…すぐ死んで、私が…。70の時かな。死んでから、ずっとお母さんの、もう、するやつないからね。お父さん死んでから米屋さんしてたの。
K: うん。そこはみんな米屋さんや。闇米。
F: 闇米!?
K: うん。日本で…。
F: 朝鮮人がしてたんですか、闇米を。
K: みんな、조선사람이 했었어.
F: そうですか。
K: 国際マーケットだった、昔は。今はなくなったけど。ほんで、ミツワマーケットもあるんよ。ミツワマーケットは、服とか、野菜とか、ああいうとこを売ってるの。マーケットが2つあったのよ。駅のと。
F: 闇米や、食べ物やってるところと、服のところと。
K: うん。それみんな立ち退きなってから、もう昔の影もない。ほんで、2、3軒くらいおる。他の商売してる、そこで。1人は、ホテルも。小さいホテル持ってるし。泊まるようにホテル持ってるし、1人は野菜商売してるの。Nさんや、名前が。하고もう1つは…少し泊まってすぐ行く宿屋。それやっとったよ。
F: 今も?
K: 今もやってる。
F: その3人というのは、お友達ですか?それとも知り合い?
K: 友達じゃなくて、知ってるの。うちら、こうやって暮らしてたから。
F: それは、朝鮮人ですか?
K: ええ、朝鮮人の人。
F: 今もそうやって商売されてるんですね。
K: ほんで、うちの名前が、Kさんだから、名前が。日本の言葉で。Kさんだ、言ったら、みんな知らん人がいなかったの。
F: Kさんで、下の名前はなんでしたっけ?
K: お父さんの名前。
F: あの、お名前は何でした?
K: 私は、Hさん。
F: Hさん。
K: うん。
F: どんな子供でしたか?
K: 子供の時はもう…
F: 何が好きでしたか?
K: 何の好きもないし、一生懸命に… お母さんの、뭐랄까、お母さんの友達やね。あっち行け言うたらあっち行ったし。要するに、お母さんの…
F: おつかいを?
K: おつかいをよくしたんよ。ご飯も炊いたり、洗濯もしたし。私が女の子が1人やから。上の、上はみんな男ばっかりやから。ほんで、うち男3人で私が4番目やった。
F: 下に女の子でしたっけ?
K: で、妹が北朝鮮におるし。
F: 男3人で、女の子が…。お母さんが、어머니が苦労されましたね、では。
K: よく苦労したよ。苦労してから、私が中学校3年生の時に、お母さんが子宮癌罹ったの。子宮癌罹って、夏よ、7月かな。罹ってから病院、私、病院も見舞い行けなかった。うちが商売忙しいから。ほんで、うちのおじさんやら。おじさん2人おったのよ。お父さんの弟に。2人おったから、あれしてから…退院してきたの。退院してきたから、2階で寝て、お母さん。私が下で商売して。全然、私はお母さんの看護してなかったのに、看病してなかったのに、おばあさんが、うちのお父さんのお母さんが、うちのお母さんの面倒見たの。
F: 一緒に暮らしてたんですか?
K: おばあさんの後ろで横に、家があったの。おばあさんの家。別に暮らしとったけど。
F: 別だけど、まぁ近くで?
K: そう、옆에。옆에。
F: お母さんは?
K: それから何年かしてから、お母さん死んでから、2、3年おってから、妹がおじさん連れて北朝鮮行く言うたから。行くから、私がすぐ、見送りに送ってから、新潟まで行ってから、すぐに北朝鮮行ったのよ。
F: 妹さんって、歳が1つだけ違うんでしたっけ?
K: 私と9歳違う。
F: 9歳も違うんですか?
K: うん。今71くらいになっとる。
F: 妹さんが、9年違っていて、ということは、そんなに早く北朝鮮に行くって、妹さんが?
K: 妹1人じゃなくて、おじさんが連れて行ったのよ。おばあさん하고。その時に、うちの妹が12歳。12歳の時に行ったの。
F: おじさんと、할머니、おばあさんと?
K: うん。それを写した写真もあるんだけど、みんな置いてきた。
F: 先に行ったということは、ほんとにすぐですか?59年かな?60年?
K: 60年度。私より3ヶ月前に行ったの。
F: 3ヶ月か。すごく前じゃなくて、3ヶ月前に行ったんですね。でも、それは急に行ったんですか?なんで?
K: 総連で宣伝が良いから行ったのよ。
F: おじさんが行こうって言ったんですか?
K: うん。おじさんが行こう言ったから行ったの。
F: おじさんは、総連の何か、活動をしていたんですか?
K: 活動じゃなくて、活動はしてないけど、北朝鮮がアパートもやるし、暮らしがええ言うたから行ったのよ。
F: それは何で、何を見たとか知ってます?おじさんが。
K: その時に一緒に米屋さんしてたの。
F: おじさんと?
K: みんな、うちらの…
F: 仲間たちが。
K: 中で。
F: 朝鮮の人達の仲間がいたんですね?
K: 国際マーケットだよ。昔は、そこで。それで、商売あんまりできないから、その話に北朝鮮が「良い」って行ったのよ。行って、3ヶ月やから、落ち着いてないから、何にも知らないやんか。そんで私が、妹見送りに行ってから、1人で行くから可哀想やから、うちがすぐ後ろでついて行ったの。
F: 妹さんは嫌がらなかったのかしら?妹さんは、友達もいるだろうし。
K: 小さい頃は分かんないや。学校行ってたから。
F: なんで妹さんを連れて行こうと思ったのかしら。子供だから?
K: 아니。お父さん、お母さんいないじゃない。で、うちはみんな、働きに出てったから、見てくれる人がいないじゃない。兄さんがおるけど、兄さんの子供が女の子2人おる訳や。あの時小さい子。うちの娘は、妹は、子守ばっかしたのよ。だから、親もいないから、おばあさんは、おじさんだってみんな行く言うから、連れて行こうと。私はそん時に、大阪へ働きに行っとった。で、分からなかったんや。遊びに来たら、北朝鮮行く言うたから、準備してるやん。もう行く言うたから仕方ないで。
F: (Kさん本人は帰国するという意思決定をした家族状況について)大阪でも働いてもいたし、あんまり知らなかったんですね。
K: 全然知らない。
F: そしたら、急に、北朝鮮に帰国するということになって?
K: そうや、名古屋来て、遊びに来たら、みんな行く言うて荷物みんな包んで…
F: みんな帰るからバイバイっていう。
K: うん。
F: 反対する間もなかったですね?
K: ないない。全然知らないんだ。
F: おばあさんは?おばあさんは何か反対したりとか?
K: 全然ない。
F: 行きたいな、帰りたいな、という感じ?
K: その時は、私が来た時は、荷物包んで行くいう準備までしてた。
F: それは驚きましたね。
K: うん。私はほんとにええのか思って。団体でみんな行くから、駅の見送りも行ったよ。
F: 名古屋駅まで?
K: うん。すぐ前だから、5分もかからない、うちの家からは。駅まで。その時に、みんな、あっちからこっちから、もう団体で、みんな北朝鮮、見送りに来た友達もおるし、うちの同級生もよく行ったよ。
F: そうですか。その時?
K: 私は会うたよ、北朝鮮で。同級生。
F: 北朝鮮で会いましたか。名古屋駅でほんとに沢山の人がいたんですね。
K: うん。
F: 荷物は?
K: 荷物は先に送って。
F: 先に送ってる人達が多かったですか。
K: うん。自分の鞄だけ。その時はものすごく、総連で宣伝がすごくしたのよ。家もくれるし北朝鮮行ったら。もう心配ない暮らせる言うたから、みんなそれに憧れて行ったの。
F: Kさんは何か見ました?その宣伝を。覚えてる宣伝って何かありますか?
K: 覚えてるのは、総連からその宣伝しとる人達が出てきたから、一生懸命やってたよ。
F: どんな風に?
K: どんな風にって…
F: チラシ配ってましたか?喋ってた?
K: 아니。喋っとるし、北朝鮮ええ言うて、総連から出てきたから、一緒に宣伝しとるんよ、喋って。그니까、学生も、朝鮮学校、조선학교の行っとる友達もみんな行くようになるし、親が行くから子供達もついて行くようになってるじゃないのよ。ついて行ったし。
F: どんなところで喋ってたかって覚えてますか?街の中?国際マーケットの中?
K: 아니아니国際マーケットの中じゃなくて、総連の사무실이 있어.名古屋で。名古屋で있어.総連の사무실이 있어.
F: 사무실に来てね、来て下さいっていうチラシが来たりしたんですか?
K: 사무실もあるし、学校でも宣伝するし。総連の学校でするし。あっちこっち宣伝するから、みんな憧れたんや。日本語で言えば、憧れちゃったんよ。ほんで来てみたら、北朝鮮行ってみたら、全然違うのよ。
F: Kさんは憧れましたか?
K: 家はくれたけど、アパートをくれたけど、まぁ仕事。で、最初は米も配給でくれたよ。
F: Kさんも憧れましたか?その話聞いて。
K: 憧れて行った。
F: 何が1番良いなって思いましたか?
K: 아니 나는 何も생각 안 하고 妹が1人で行ったから可哀想だ思って、先に。それ1番に考えて行ったの。
F: じゃあKさんは別に憧れとか、北朝鮮良いなとか?
K: 全然。
F: 社会主義が良いなとか?
K: 全然、そんなことない。
F: ただ、妹さんが?
K: うん、1人で行ったから可哀想やから、私が姉さんやから。親戚が子供達が多いから。10人や。おばあさん까지いれたら11人や。だから家族が多いから。
F: みんな帰ったんですか?
K: うん。だから、私が、妹を1人、おばあさん連れて行ったから、その家族多いのに。暮らすのに心配で、うちがすぐ行く言うて、신청해서 왔어.
F: そうだったんですね。
K: うん。ほんで、行ってみたら、着いてから、全然、私考える(考えていたこととは)全然違う。
F: 勿論妹さんが心配ということが1番大事だったと思うんですけど、北朝鮮に行ったら良い暮らしができるかなって、そういう気持ちもありましたか?
K: 全然そういうことはなかった。
F: それは思わなかった?
K: うん。ほんで行ってみたら、1番最初チョンジンで、チョンジンだけ駅が、駅が、船が着くとこがチョンジンや。チョンジンで着いたら、みんな迎えに来てたのよ。北朝鮮の人達が。迎えに来て、꽃とかワラワラ。その時、服やらみたら、고무신。
F: 真っ黒な고무신だった。
K: 고무신とか、새까만 치마저고리하고 하얀 저고리。見たから、パーマもしてないし、あの、この頭…
F: 飾りもないし?
K: うん。
F: アクセサリーもないし?
K: うん。何にもないで、こうやって編んでから、それ見たからびっくりしちゃったの。아하、これは、北朝鮮ではこんなのか思って、びっくりしたけど、そこで한10日後くらいおったかな。10日後くらいおってから、みんなバラバラに行かされたのよ。ほんでうちは…
F: すいません。もうちょっと日本のところの話を聞きたいんです。なんでみなさんが行くことになってしまったのかを、しっかり知りたいので…
K: なんで行きたいの、北朝鮮行くようになったら、私は、お母さんお父さんも一緒、早く死んだし、大阪へ働きに行ったって…
F: どんな仕事してたんですか?
K: 食堂。
F: 食堂で。
K: で、働いて、올바야(?)妹が北朝鮮行っちゃったから、親もないし、だから姉さんにしてから、うちが行かなあかん、それが1番最初に頭に来たのよ。だからすぐ、北朝鮮に行くようになったのよ。なにも、幸せに暮らすとかそういう夢のことは思ってなかったよ。
F: その宣伝をKさんはあんまり見なかったんですか?
K: 宣伝でうちが憧れたいうのは、ないな。
F: 周りの人達はそういう風に言ってるけど、あんまり?
K: 人が言ったいうことは聞いた。北朝鮮ようき人(沢山)が行く言うて、帰るよ言うたから、私は妹のために行った。それはみんな知ってるの。北朝鮮でも。私동생 떄문에…ね
F: 行ったっていう?
K: うんうん。왔다고。
F: 友達も名古屋駅から帰るのを見たって仰ってたじゃないですか。知ってる人が北朝鮮に帰るっていうのは、安心感に繋がりましたか?
K: みんな、止めもせえへん。お〜行く〜朝鮮へ。北朝鮮へ行く言うたら、お〜そうか、言うて。それだけ、みんな行くな行くなとか言わなかったけど、うちの、こないだ日本から来た姉さんのお母さんが、止めとった。私に。行くな言うて。
F: それを聞いてどうでした?
K: そんなのもう頭に入れなかった。北朝鮮へ行ってからは後悔はしたけど、もう行ったら、お前もう食われんし、寒いし、食べるもんないのに何しに北朝鮮行くのか、そのおばさんが一生懸命止めとったのよ、私。だけど、そんなこと、人間暮らしとるとこを、そんなことあるかって私が反対してきたのよ。
F: なるほど。そう思いますね。
K: うん。思うの。誰でもそういうこと思うでしょ。ほんでその話が、そのおばさんの悪いことを思ってたの、私は。止めとんのに、それが、このおばさん達みんな総連の人じゃないから、そう止めるのか、思って、頭に。そう思っとったんよ。初めは。
F: その方、その時から、もう民団で、だったんですね。
K: うん。ほんで、私は、止めとったけど、私は、頭に1つしか入ってなかったね。早く行って妹に会いたい、それ話しか、頭に入れなかった。なーんにも思わない。
F: 他の兄弟は?上のお兄さん達は?
K: 兄さん達はみんな日本におって。
F: だから何も言わなかった?
K: 大きい兄さんは、私が暮らしとった家やって、お母さん死んだから。で、長男やから、もう妹も弟も面倒見てくれるか思うてそこにおったけど、それ違うの。みんなバラバラなっちゃった。弟も16歳やのに、この近所のおばさんが人が良い人やった。うちの弟を可哀想だ言うて。パチンコやっとったの、その家。で、裏周り来い言うたから、そこ行ったのよ。それから帰って来てから、帰って来た時に、私が北朝鮮へ行く言うたから駅まで来たのよ。駅まで見送りに来たから、汽車が出るのに手を握ってから、行くな言うたから、姉さん言うて、汽車がポーッポーッポッ行くのに手をぎゅうっと掴んでから、その話したら涙出る。(涙する) 姉さん行くなー、行くな、言うて。汽車がずーっと行くまで、手を繋いで、その時に終わったのよ。それから50年になってから、その近所の人が、今日本で名古屋でNさんや言うたやんか。乾物やってるの담배、朝鮮の담배とか。行ってみたよ。たら、自分とこの、姉さんの息子とうちの弟友達やって。 仲良い友達で、親もないし、行くとこもないから、可哀想やから、そこの姉さんの娘を結婚してやったって。その日向こうの話して、聞いてから私が今度行った時に挨拶していこうと思ったら、コロナがウイルスが。行かれない。そん時にうちの弟の嫁さんが死んだのよ。行きたいけど、今3年の제사があるじゃない。2年なったから。女は2年やって、男は3年。祭祀行きたいけど行けれないね。来れなかったね。行かれないから涙が出るんだよ。そういうこともあるけど、自分も来る。 それに、商売ができないじゃない。今、焼肉やってるの、日本で。ここもみんな戸を閉めたのよ。韓国も、みんな来れなかったね。そんで、その話やけど、お宅さんが聞きたい話は北。 で、北朝鮮行ってから苦労はしたけど、1番苦労したのは水がないのよ。水がないで、井戸で、井戸水であれしてから、寒いのに、ほぉほぉしてから、つってから、バケツがないで、タンジ頭に乗せて、そんで寒いから、雪やから、道で歩いてるから、滑ってから넘어져가지고 단지がみんな割れちゃったの。そういう苦労もあるし。ガスで日本で使ってたらか、ガスがないし。練炭。日本では練炭じゃない。丸い練炭。その練炭じゃなくて가루를 해가지고それを水入れてから…
F: 作るんですか?
K: うん。練炭、가루で、それと土と混ぜてから、ほんでそれを、混ぜて乗せて火がつく訳。それが何回も取り替えてな。そんであんまりきつかったら燃えるし、ほんであれしたら、悪かったら消えるし、ほんでいっぺん掃除すると、顔が真っ黒になるのよ。それが1番苦労したの。 で、水がないし。ほんで何年かしたら、水が出るように수도を入れたのよ。それから練炭出たのよ。練炭出てから、その練炭が配給なったのよ。配給でもらうようなったんで、ええやつがくれるの(くれると思ったのに)、悪いやつくれるし。ほんでそれがコウバ(工場)でなくなってから、なくなって。なんでなくなったら、電気が来ないからなくなったのよ。なくなってから이제、朝鮮語で말하면 장마당。北朝鮮で장마당
F: 始まりましたね。
K: 생겨가지고。장마당で炭を、練炭を買う訳。で、練炭買えない人は、가루 사가지고 집에서作るのよ。機械買ってから。
F: 청진に降りて、配置を受けたのどちらでしたっけ?
K: そこの前で。配給くれるとこある。北朝鮮で。
F: 北朝鮮のどちらでしたっけ?お住まいはどこでしたか?
K: 강선구역 。海州から30分。ちょっと行ったら、南浦。
F: 南浦の近くって仰ってましたね。
K: 강선구역이라고 있어。南浦行く手前。
F: その場所は、私ちょっと初めて聞いたんですけど、どんな場所です?
K: 何の話?
F: どんな場所ですか?田舎ですよね?
K: 田舎ではないよ。
F: 田舎ではない。
K: うん。田舎でもみんな同じ。この練炭作るのは。田舎の方は、山奥行ったら나무、割ってからあれ作るけど。その近くにおる人は、みんな練炭使っとる。
F: 장마당が出るくらいの、結構…
K: 近くにある。
F: 沢山人が住んでらっしゃる地域ですか?
K: うん。장마당大きなある。みんなそうや。
F: 帰国者は多かったですか?
K: あぁ、うちらおる時は350人くらいかな。300人かおったよ。みんな死んでから、今もう半分くらいしかおらんみたいや。ようき(沢山)暮らしてた。
F: ちょっと話を戻すんですけども、帰国船には1人で乗ったんですね?
K: 1人で来たよ。
F: ですよね、妹のために。荷物はどんなもの持って行きました?
K: 私は、もう行く時自転車と。自転車1つと、ブラジャー、ミシンと。
F: ミシン持って行ったんですね。
K: うん。そうおじさんがしてくれたから、自転車と。で、服。それ全部もう、向こう行ってみんな売っちゃったし。ミシンも売ったし。自転車も売ったし。何もあれへん。 それ売らなきゃ食っていかれなかったから、その時はね。
F: 船に乗って、その고무신、真っ黒고무신でね、人がちょっと、みすぼらしい感じのね、様子だったと思うんですけど、お天気はどんなお天気でしたか?その日。
K: 天気はもう、寒かったよ。
F: 10月ですもんね?
K: うん。
F: 寒かった?
K: 寒かった。雪は12月頃降るけど、寒かった。
F: その日は寒かった。風が強かったんですか?
K: うん。やっぱり、そちらは寒い時。風がきつい、そっちの方は。港があるから。
F: じゃあ、저고리だけだったら寒いな、というような気候だったんですね。
K: うん。寒かった。
F: 初めて、조선についた時のね、匂い、臭いな〜とか、覚えてます?
K: にんにく臭い。
F: にんにく臭い!?にんにく臭かった?
K: うん。
F: 港も?
K: 降りてから。港を、船を降りてから。
F: 人の匂いとかしました?人間の匂いとかなかったですか?
K: あったね。臭い냄새。あったわ。
F: 覚えてます?
K: うん。
F: で、そこから招待所、초대소に行って、その後バラバラになったって仰ってましたよね。バラバラっていうのは、そこにいた帰国者がいろんな所に行ったということですか?
K: 向こうから、向こうから、お前は向こう行け、お前はどこ行け、お前はタンガンから、お前は百姓せえ、もうバラバラに行かす。
F: その時知り合いができたりとか、同じ友達とかも乗ってました?船に。
K: おったけど、みんなバラバラになって分かんない。ほんで私は、親戚が、おじさん達、先に行ったから…そっちに行く言うてから。そんで私はそっちの方へ。
F: そっちの方選択して。妹さんは無事にいらっしゃいましたか?
K: うん。ほんで…
F: 学校行ってました?妹さん。
K: うん。そん時行って、昔は平壌まで行ったらみんな日本から来た人。みんなそこで会えるの。なんで言うたら、平壌に食べるもんやらいっぱいある言うから、みんな遊びに来たり、買い物したり、あれしてたのよ。で、그 때는、汽車もなんでも行ったり来たりできたの。
F: 通行証がなくても行けた?
K: で、今は、私が10年前よ、今はどうなってるか知らんけど。だし、ここからどこ行くのにも証明書を…
F: 今は必要ですよね?
K: 証明書なかったら汽車乗れないの。切符も売ってくれない。무슨 소리?それが1番辛いのよ。
F: 当時は、60年、帰ったばっかりの時は、通行書がなくても平壌に自由に行けた?
K: どこでも行けた。だから、そこで、友達何人、一緒に来た人もおったし、同級生もおったし。
F: 約束して会ったりもしたんですか?
K: ええ。
F: その時、どんな話したんですか?その時どんなお喋りしたんですか?同級生と平壌で。
K: もう…
F: 旅行した?
K: なんしに来たか〜って。後悔しとる、よく話はする。長い話はできなかったけど。ほんで、どこにおる?言うたら、신의주におるとか。신의주帰国者が多い言うて、帰国者だ言うのよ。日本から来た人を。帰国者いっぱいおるとか。ほんで、私の同級生2人…3人おる、신의주に。ほんで、なんで会うたら、私が、旦那さん死んで、中国に親戚がおる訳や。ほんで、中国行って、来る時に、신의주からは당동があるの。それ、건너와서そこで、신의주で、友達が会うたの。
F: 会うたんですか?
K: 同級生。
F: それは、いつぐらいの話ですか?年。
K: 会うた時、2000도 2년。ほんで、84년도の1番最初やから、2回行ってきたから、2回目に友達みんな会うた。
F: そうですか。2002년도。
K: うん。2년도。
F: 友達はどんな風に暮らしてましたか?
K: アパートにおって、大丈夫だったわ。生活は。でも、来たのはもう後悔してるわいな。おんなじ後悔よ。
F: その後悔って、それはどんな後悔ですか?
K: 何しに来た、朝鮮何しに来たか言うて。こんな生活何しにしたか言うて、そういう話で…もう、政治の話はできないからそこでは。もう後悔しとるいうことは、ひとくちは言うけど、金日成悪いとか、誰が悪いとかそういうことは言わなかった。友達ね。政治の話はできないの。言ったらクビになるから、怖くて言わない。北朝鮮来たの後悔してるわって、その話くらい。
F: 何か、怖いっていう話はしてました?
K: 怖い話は、なんでも喋ったらあかんいうこと。うちのアパートでも、3階におった人も日本の奥さんや。で、旦那さんが、九州でおってから、北朝鮮来たのよ。ほんで、コウバ(工場)で行ってから、悪口言うたみたいや。で、その人が盲腸手術したのよ。日本語で言えば盲腸ね。朝鮮語で맹장。ほれで수술してから、その奥さん日本の人よ。1週間くらい、病院で1週間しかないのに、どこ行かされたか、밤에行ったのよ。出てこれないとこ行っちゃったの。
F: それは、その旦那さんだけですか?家族みんな?
K: 家族全部。ほんで、息子は하나、1人死んだよ。갑자기病気罹ってから、息子死んで、1人は女の子は、うちの妹のおるとこに嫁に行ったのよ。ほれから、1人連れて行った。ほんで、息子は死んだし、ほんで男の人잘 생겼어。そんで、娘が、며칠 이따가連絡したか知らんけど、荷物持ってけって、置いといたやつが、タンスとかそういうの、이불장とか置いてたのよ。持ってかれないから。トランク1つ、乗って。あの寒いのに行ったよ。寒い時に。12月22日か23日か。1番寒い時。(수용서)行く人はみんな寒い時に行くの。そういう人たちは。
F: それは何故ですか?
K: 苦労せえいうこと。
F: 何年くらいの話か覚えてます?
K: それは何年が。うちがおる時やったから、한 80년도か。
F: 80년도ですか。
K: くらいか。85년도쯤 됐나.그때야.…その人だけが、うちのもう知っとる人も何人かおる。昔知っとる人も同じ名古屋の人やけど、ナンセンカイだけなのよ男の人が。その人も。
F: 10年行って帰ってこなかったんでしょ?
K: ほんで、その人も간첩이だいうて、北朝鮮行って。
F: 元々南の出身なんですね?
K: ほんで、南朝鮮から来た人で日本行ってから、北朝鮮来たのよ。奥さんもおるし子供もおるのに。
F: 結構歳いってる人ですね。その男性は。
K: うん、歳いってたよ。50過ぎとったよ、あん時も。ほんでその간첩이だ言うてから、どこ行かされて、そういうてから10年만에出てきた。
F: 家族みんな?
K: 家族全部出てきて、旦那さんだけ死んだの。
F: 家族は帰ってきたけど、旦那さんはもう…
K: ほんで聞いたのよ。一緒に暮らしとったの〜?いうたら、別々におったって。家族全員一緒におれなかったって。ほんでその話言うないうて、聞かないでくれ、言うとった。なんで言うたらあかんねん。自分ら出てくるとこに、손도장 다 찍었대。何も言わないいうて。出てから話、あった苦労とかいろんな話しない。出てきた人はしっちゃあ(知ってる)ね、それから出てきた人は。
F: 別々に暮らしたということ以外は聞けなかったんですね?他に何か?
K: うん。で、今、そのおばさん死んだ。子供達おるけど。
F: 10年経って帰ってきてどうですか。見た目とか、変わったところはありましたか?その人。
K: 何も変わったところはない。
F: 服装とか?
K: 何もなかった。
F: 10年歳をとっただけだなという感じですか?
K: ほんで、家だけ1つやったみたいやね。暮らすいうて。服もないみたい。服も、着替えな、なんにもなかった。
F: 何か怪我をしているとか?
K: そんなことはない。
F: すごく見窄らしいとか?
K: そんなことはない。
F: そんなことはなかった?
K: うん。
F: 奥さん、どんな方々ですか?
K: ん?
F: どういう関係だったんですか?Kさんと。
K: その人と、おんなじ名古屋だったから。
F: 同じ名古屋で、よく、名古屋だからということですか?
K: 名古屋で暮らしたで、知っとるだけで、仲良し(では)違うの。名古屋で暮らしてた言うから、あ〜そうか言うて、うちらよりも後に来たの。その人達が10年後に来たの。
F: 同じアパートって仰ってましたっけ?
K: 同じアパートじゃなくて、ちょっと離れた。
F: ちょっと離れたところですか?
K: うん。
F: ちょっと後にいらっしゃった?
K: あの人達は、남포行ったの。1番最初。남포暮らして行かされて、で、後に、うちらの方に来た訳や。出てくる時に。10年後に。そこで分かったのよ。知らなかったの。
F: 追放されて亡くなってしまった男性は知らない?
K: 旦那さん?見たことない。
F: 直接は見たことないんだけど、元々南方にいて、で?
K: 10年後に出てきたの。
F: 出てきた時に、初めて会った。
K: 分かったよ。
F: それで、名古屋ご出身だからということで、知ってたということですね?
K: うん。…それで別れたよ。
F: じゃあ、カンチョビだっていう話は、それはなんで知ってる?
K: あ?
F: カンチョビだって言われたり、それは誰から聞いたんですか?
K: それ?もうそういう話は、みんなが…
F: 周りの人達が言ってた。
K: 全部言ってたし、自分達も言うてた。
F: 誰が言ってたんですか?それ。その家族が…うちの夫が간첩って言われて捕まったんですとは言えないですよね?
K: 奥さんが言ってた。
F: 奥さんが言ってたんですか?
K: うん。聞いた、うちがおる時に。何も、自分達は関係ないのに、カンチョビだいうて行かされた、そういう話は聞いた。하고みんなもそういう話してた。
F: あの人の家はカンチョビで死んだから…
K: うん。それで行かされたいうて、その噂がようき、みんなが言うてた。
F: そういう噂話って多いんですか?
K: うん。남포の帰国者よくおるよ。私らよりもっと何百人おるよ。1番多いのは남포多い。400人くらいおったんよ。
F: 남포は多いと聞きますね。また話戻るんですけど、妹さんを追って帰国されて、その家に入った時はじめどんな家でしたか?
K: 家は、一間に、おじさんや家族は二間ずつ。部屋は2つだけど、家族が多いから一緒に暮らされないじゃない。그니까私が来た時に言うて、家1つもらったの。小さい一間、このくらいの部屋。1つもらって、これよりもちょっと大きいみたい。ほんで妹と2人で暮らしてた。
F: おばあさんは、そのおじさんのところで…
K: おって。うん。私と妹と暮らしてた。
F: 妹さんは学校に行って。まだ12歳ですもんね?妹さん。妹さんは中学校かな?に行って。
K: 私と一緒に暮らしてた。ここで、北朝鮮で。
F: 学校に通っていましたか?
K: うん。その学校行ってた。
F: Kさんは?
K: 学校行かない。働きに。
F: もう働きに行く歳ですもんね。
K: うん。働きに行った。コウバ。
F: コウバに行った。何をするコウバですか?
K: 뜨락또르 공장。
F: 仰ってましたね。
K: 뜨락또르 밖에ないの、そこは。
F: そこでどんな仕事をしましたか?
K: いろんな仕事。
F: 大変でしたか?
K: 女の仕事をすりゃ…
F: 手を使う仕事?
K: あの…よく私、私は覚えてる…キジュンキ。
F: キジュンキ?
K: コウバの中に왔다 갔다する。それ乗った。キジュンキ乗ってた。
F: 朝何時から何時までお仕事でしたか?
K: 8시간 노동。
F: 6시간?
K: 8시간。
F: お昼ご飯は持って行ってましたか?
K: 持っていかなあかん。弁当持っていかな。
F: 弁当持っていかないといけない。大変でしたね。
K: 毎日おかずはもう된장、김치。それしかあれへん。そん時はそれしかあれへん。もう肉とかそんな、계란とかそんなんはない。
F: 妹さんと2人だったらね、Kさんが全部そのご飯とかもやったんです?
K: ほんで、そん時は配給くれた。
F: でも配給くれても料理の仕方は分からないでしょうね。
K: それは私が…
F: どうにかこうにか?
K: してたの。汁。日本におる時からしてたから。それは잘해。
F: 台所の使い方とかも全然違ったんじゃないですか?
K: それ、냄비1つで。
F: やってたんですね。
K: それ、よきないから。釜、黒い釜、それを国家からくれた、1つ。それ1つくれて、一番涙が出るのは、タライがないから、大きいタライ。あれが洗濯できない。 ほんで、洗濯しても、井戸水やから、洗濯ができないのよ。ほんで一番涙出るのが、石鹸がないし。日本からちょこっと持ってきたやつ全部使ったし。ほんで一番涙が出たのは、あの고무신は履かないけど、運動靴。運動靴履いてたんよその時、편리화だけ。男の人は運動靴ね。それが1番辛かった。道端歩いとるみたいや、맨발로。運動靴が얇아서 힘들었어。今はここ来てもうこんな高い靴とか、ハイヒールとか履くけど、日本におる時は私、普通のおしゃれじゃなかったんよ。今でも、韓国来ても、人に負けないよ、服とか、もうおしゃれは。そんな忘れないけど。 北朝鮮の苦労は金で買えない。そんな苦労ね、初めて。生まれて初めての苦労や。もうそれから結婚してから、25歳にうちが結婚したのよ。ほんで、娘の嫁に行かして、妹に嫁に行かして、うちが旦那さんもらってから。中国帰りの人が住んどったのよ。1人で来て、大学出たのよ。ほんでその人と暮らして、女の子2人、男の子1人。ほんで旦那さんが75年度に死んだのよ。私が36歳。ほいで、旦那さん41歳、時に갑자기、急に寝てから밤에 자다가心臓麻痺で死んじゃった。심장마。朝鮮語では심장마비고、日本語では심장麻痺。밤에 자다가 죽었으니까。どうするの。손 쓸 수가 없잖아。ほんで、息がくれてから、소리가 오~하니까びっくりして起きてみたらもう死んじゃって。病院走って行ったんよ。先生来ても、目みてみてだめだよ。ほんで、友達、親戚みんな呼んでから、中国帰りの友達있어。아버지とも呼んでからね。もう死んじゃって遅いとかで、亡くしてから、みんな来てから。ほれで、それ正月や。1月1日、正月に。 これで、家来たのよ。ヘイジョウおったのよ。うちの旦那さんが。ヘイジョウ行くようになってから、死んじゃった。なんで言うたら、うちの旦那さんが、あれしてたの。뜨락또르 こう、설계してから、大きく、小さいトラックを大きく作ったの。대형。あれで성공했어 우리 남편が。그래서テレビ도 나오고 북한에서。ほんで、많이 그 했어. 이름이 있는 사람이야 남편이。その아주머니がここ来た言うてから、びっくりするよ。で、テレビの、기록영화.テレビ많이 나와。昔の뜨락또르大きいコウバにニュースが出ることじゃない。何年度どこのコウバで、誰々で、ニュースが나오잖아。それも出ることなのよ、うちの旦那さんが。천리마 운동。70년 계해(?)천리마 운동 이제出てくるの。うちの旦那さんが뜨락또르前で손 흔들고. 그게 나와 사진 나와。
F: それ誰にも言わないので、お名前なんと仰います?旦那さん。
K: うちの旦那さん?S.D.
K: このS.D. 이렇게. 모르는 사람 없어。今、35年生。名前あるよ今でも、探したらあるよ。そう有名の人やったんよ。 中国でハルビン大学だ、言ったらみんな知ってる。有名な大学だよ。こう、日本では東大とか早稲田大学とかあるじゃない、名前。そういう中国でええ学校で。
F: ハルビン大学も出て、で、その1人で帰国して…
K: 아니。1人で来た。兄弟みんな中国だ。
F: なんで1人で来たんですか?
K: 아마生活が苦しいから。行ってみたら生活苦しい。そこは商売もできないし、농사、농사も兄貴が、兄さんが농사で子供達。私見て泣いてたよ。子供達みんな大学行かさんで、弟だけ막내。막내うちの旦那さんは、男4人で1人死んで3人。막내1人北朝鮮行って、死ぬと思わなかった言うて泣いてた。私行った時。
F: 北朝鮮で死ぬとは、まさかって?
K: 心臓麻痺で死んだ。
F: ということは、旦那さんは、ハルビン大学も出てるんだけども…
K: 家は길림。あの길림이야。
F: 仰ってましたね。中国で暮らすよりも、北朝鮮の方がマシだって思ったって。
K: そう。その人も後悔してたよ。
F: 後悔はしていた?
K: うん。
F: じゃあもう来てすぐその…
K: ほんで、中国から来た人も、もう1年ぐらいしてから、압록강 두만강 건너서 도망간 사람도 많아。多分중국에 가는 사람도 많아。行った人も多い。
F: そのトラックの설계をすることが、もう決まった状態で来ましたか?それとも来てからそこに配置されたんですか?どっちかご存知ですか?
K: 決まってなくて、あの、大学がそういう大学が卒業したから、そういう時に、北朝鮮行ってから설계하는 데가 있다고…
F: 있다고 배치받았어요?
K: うん。そこへ働きに行って。
F: 何年頃に北に行ったか知ってますか?
K: 52年度。아니야63年度や。
F: 1人でご苦労されましたね。
K: 3年度で、4년도、 5년도。うちが結婚したからね。
F: でも、それでも一生懸命生きてらっしゃったのに突然亡くなられて悲しかったですね。
K: それから私が1人暮らして…苦労したよ。
F: ずっと結婚してからは仕事は1回辞めました?
K: うーん。仕事を、子供産んで行ったよ。仕事行ってたよ。
F: 子供を産んだ後も仕事には行ってましたか。同じ場所ですか?トラックの。
K: コウバは一緒やけど、仕事するのは別々。私の、子供預けるとこあるじゃない、탁아소。そのとこ預けて、仕事したよ。
F: 託児所があるんですね?
K: うん。
F: 잘 되어 있어요?大丈夫でした?
K: うん。
F: そこで遊ばせたりしてるんですか?
K: うん。子供達見てくれる人達がおる。
F: そうですか。旦那さんとは、その職場で出会ったんでしたっけ?恋愛結婚って仰ってた気が…
K: 恋愛結婚。
F: 職場で?
K: 아니あの下宿があるんや。하숙. 旦那さんの뜨락또르 공장 하숙이 있어。コウバの中。あの、その、コウバが大きいから、独りもんが多いじゃない。だから、하숙이 있어. 하숙에서 마당이 큰 데 있어。大きいとこ。そういうとこに、夜になったら、踊りを踊ったのや。みんなおんなじ踊り。日本で言ったらば、盆踊りみたいな、踊るのある訳や。ほんで、うち踊り好きやから見に行ったのよ。そん時に、その人と見てから知り合…そん時は、全然知らないけど、コウバで行ったり来たり、見るじゃない。아침에 출근시간이。よく見る訳。ほんでうちがそこに、관리 청소하는 아주머니 있어。その人も中国帰りや。その人が、今ここ来たの、韓国へ。そのおばさんも。そんでそのおばさんが、うちの親父、旦那さんよく知ってるのよ。ほんで、中国から来たから、中国の言葉も知っとるし。んで、あの人どんな人か〜聞いたら、うちがお酒飲むの〜?言うたら、酒飲まないし、タバコも、タバコは吸う言うとったな。ほんで、酒飲まんし、大学出た言うから、私が마음에 들었어。ほんで、うちの兄さんがお酒好きなの、日本におる時に。のんべえや。だからうちが、飲む人は嫌いやったのよ。それでその人とコウバで見てから、うちがあの…
F: ちょっとアプローチした?
K: 아니うちが、子供おるから、이제キジュンキ乗れないから、高い。キジュンキ危ないじゃない。機械だから。荷物、こう、キジュンキ降りた내렸다 왔다 갔다 하잖아、危ないから。で、それやめて、창고、뜨락또르の부속품 入ったり出たりする창고があるの。そこにあたしが働いてたんよ。中に。それやっとる時に、この人が왔다 갔다 해서 봤어. 이야기도 좀 해보고 그래서 있는데、この人が誰かにこの女の人が言うたんか、アパート、あの女の人の前のアパートや。私がこの、청소하는 아주머니が。그래서旦那さんが、今死んだ人が、旦那さんが私に探して来て、一緒になれへんか〜言うてたんや。
F: 突然!?
K: うん。最初っから来てから…
F: 一番はじめの一言がそれでしたか?
K: うん、探してきて。ほんで、私は何もない。本밖에持ってきたのない。何もなかった。本しか。그래서人がええ人に見えたから、一緒になったん。ほんで暮らしとって、妹は嫁に行かして、そこで。嫁に行かして。
F: 恋愛期間は本当に何もなくて、すぐに一緒に暮らし始めたんですか?
K: うん。一緒に暮らして。그래서おじさんに、みんな反対したの。この人と。うちの旦那さんとダメだ言うて。中国帰りだと。
F: 帰国者が反対したんですか?
K: うん。
F: みんな自分の?周りの同僚が?
K: 아니。うちの親戚が反対したの。ほんで友達も、なんで日本から来た人もいっぱいおるのに、なんで中国帰りと一緒になるのいって、言う人もおったけど、一緒になって暮らしたらこの人違うのよ。もっと良い人なの。頭も良いし、생긴 것도 잘 생겼어. 다음에 사진 보면 알지만 남편 잘 생겼어. 노래 잘 해.아~ 처음이야 노래 잘 해. 그래서一緒になって、女の子2人産んで、男の子産んで、6歳の時にお父さん死んだのよ。旦那さん죽었어。ほんで今あの子が50なった。あの子も北朝鮮で신의주大学出たよ。ほんで娘達は中学卒業や、2人とも。
F: 신의주の大学ってどこですか?
K: 경제 대학교라고 있어。
F: 신의주 경제 대학교?
K: ほんで今はなくなった、それ。고등학교 됐어。なくなって무슨 고등학교 됐어. 우리 아들が알아. 그래서 신의주에 대해서 잘 알아. うちの아들. 중국 사람들 어떻게 사는 것 많아 거기서。 다 갔어 이번에. 中国行ったよ。100人ぐらい인가?다 갔어。中国へ。
F: 탈북을 했다는거예요?
K: 아주 갔어. 北朝鮮で못 산다고 갔어。
F: 신의주の中国の人達ね。ちょっと궁금한 게、20歳で帰国、이북에 가셔서、言葉はどうやって勉強したんですか?朝鮮語。朝鮮語だって、日本語…
K: 日本語ばっか喋ってたよ。そこ行ってね、はじめは。ほんで、言葉は全然分かんない。北朝鮮の言葉は分からなかったけど…
F: だって、日本でも勉強したことなかったでしょ?
K: 学校行ってたけど、朝鮮の言葉は…
F: その朝鮮学校には行ってないんですよね?
K: うん、全然。ほんで…
F: 日本で総連の集まりとか勉強会とか、言葉の勉強とかって、朝鮮語の。1つもしてない?
K: 아니 내가中学行く時は、조선の학교 다녔잖아.
F: 中学から?
K: うん。조선 학교.조금 땡겼어. 근데 뭐 ひと月に毎日학교는 가야 되잖아。だけど家でお母さん商売しとるし、行ったり来たりしてた。行ったり行かないったりしてた。
F: 中学校の時は?
K: うんうん。ほんで、勉強はもうドベだ。頭悪ないんだけど、あんまり行かなかったんだよ。行かない時が多い。
F: 仕事手伝って、お母さん大変でしたもんね。
K: 食っていくのが苦しいね。
F: しかも中学校の時にお母さん癌になられてね。
K: うん。ほんで卒業前に、내가3月の何日に卒業や。3月の半ば頃かな、卒業やのに、お母さんが2月の旧正月前に死んだ訳よ。2月に死んだ。ほんで卒業の時に行かれなかったん。で、修学旅行は3年生、東京とか全部遊びには行ってきた。写真もあったけど。ほんで、今はないのよ。私の同級生みんな、私の모른 사람 없어。私は。
F: そうですか。名古屋のどの学校ですか?名古屋、조선 학교の名前。
K: 그때2番地。2番地라고 있어。名古屋港。名古屋港の手前に、2番地、今は四日市に。四日市じゃなくて、ヨドバシ인가 이사 갔어。
F: 学校の名前って覚えてますか?
K: 그때2番地조선 고등학교。高校生もあったよ。名古屋港。名古屋港가는 데야。가기手前や。2番地や、駅が。それ覚えとる。
F: じゃあその時行ったり、あんまり学校行かなかったけど…
K: 少しかも、土曜日か日曜日の외국 배가 들어와 거기에.名古屋港。그래서 전차 타고 가면 외국 사람들 많이 봤어 그때. 그 기억이 나.
F: 体の大きい?
K: 키도 크고 그런 사람들 많이 봤어 말은 안 해봤어.喋ってはいなかったけど、そういう外人、外国の人達よく見たわ。
F: 名古屋の。
K: うん。それ、2番地。
F: 2番地というんですね?
K: うん、駅。駅が2番地で、ちょっと歩いていったら学校が、朝鮮の学校があって。そこへ行って、その学校を辞めて、他のとこ…
F: 辞めたんですね?
K: うん。その学校引っ越したの。名古屋だけど、学校が…
F: 同じ朝鮮学校でしたか?
K: うん、おんなじ朝鮮学校인데。クルバシ야가、知らん、ちょっと田舎の方や。引っ越しした。それ一番最初に생겼어。これが。2番地が。
F: 2番地が先。
K: クルバシが学校。
F: 中学校の3年間行かなかったりもしたけれども、それで…
K: 今それ覚えた、クルバシや、それ。学校の行く前に、金城女学校がある、日本の。有名な、名古屋で有名な金城学校。お嬢さん들만 가는 학교야。조선 사람들은 못 들어가。金城女学校라고ある。聞いてみたら分かる。名古屋にある。金城女学校も、このマークが、このセーラー服、ここの三角になって、ここにはめとるよ。
F: Kさんは何着て行ったんですか?服。
K: セーラー服。두줄 여기에。白いの。두줄。昔写した写真、거기서 ある。その写真が、북한에 놔두고 왔어。あるかないか分かんないけど。恐らくないと思うけどね。それよりも、私が娘の時に、19歳、17歳、20歳の写した写真、こんな大きいやつ。このぐらい、本当に、今한국 돈으로 천만원 줘도 못 사。それは。今も생각이 나. ほれから、うちが一番お宅さんに一番話したいのは、娘の旦那さん、殺されたの話。言いたいのよ。 それ、今までは誰も言わなかったけど、あんまり胸が痛いから、こないだも出てくるの、추석이니까 墓参りしたいけど、私が韓国、遠いとこ来てるじゃない。その話したら、胸がつかえたから言えないけど、これは言わなあかん。あんまり酷いから…
F: 娘の旦那さんということは、今北にいらっしゃる娘さん?
K: 娘の旦那さんだけど、初めはどうなったら、犬の商売。犬。
F: 犬の肉?개 고기?
K: うん。개 고기。개 고기買ってから、売る訳や。ほんで개 고기買ってから、식당、商売しとる人に개 고기…
F: それは娘さんが?
K: 娘じゃなくて旦那さんが。それ友達と2人でその商売を、犬を買って売ったりしたり、商売したのよ。
F: 娘さんはいつご結婚したんですか?
K: 3年前か、4年前かな。その人と一緒になって。いつやったか、何年度か생각이 안 난다。うちの娘が65년도…내가 65년도 결혼했으니까 우리 아들이 내가 70년도에 낳았지。その前に、2살 차이…3살 차이니까 우리 아들は 70년생이야。그러니까 우리 아들하고 2년 차이야。3년차이야。ほんで큰 딸が、큰 딸が今57歳니까、うちの娘が55歳や。
F: 今55歳?
K: うん。今55歳で、あの子が25歳過ぎたかな。아니야もっと過ぎとる。28くらいか7歳ぐらいだな。時や。
F: じゃあ30年くらい前の話ですね。
K: うん。30年なってないよ。15年、うちが来る前に10年なったんじゃない。ここ来る時に。10年なったでしょ?その5年前。話や。
F: ということは、95年くらいの話ですね。선생님はだって…今来て10年でしたよね?
K: うん。来てから10年고、その前に5年前やから。
F: 2005年くらいの話ですね。結婚をされた。
K: 結婚してからは、1年후에 2年。子供男の子1人生まれたよ。結婚して3年くらいなったまだ。3年くらいなって、4年なったかな、4年ぐらいなって旦那さんがよく…
F: 개 고기?
K: 酒が好きやの、その人。で、今축구 선생. 축구 선생してたの。北朝鮮で。
F: それはご結婚される前から?
K: うん。前で、結婚してからはそれもしてたんで…
F: その旦那さんは帰国者の子供ですか?
K: 아니。北朝鮮の人。親達がみんな反対したけど、自分達が好き同士で一緒になったんや。男の人が3つ下や。うちの娘よりも。ほんで、남포、仕事行ってたから、うちの娘が。一緒に汽車ん中で왔다 갔다しながら知り合ったみたいや。で、恋愛結婚だけど。結婚してから、男の子1人생겼어。그래서親も仕方なく、反対してたけど、仕方ないって暮らしとったけど。家は私が買ってやったのよ、1つ。ほんで3年、5年くらいなったかな、結婚して。5年なったのに。この犬の商売、学校の先生辞めて。あんまり酒よく飲むから、学校で…
F: 쫓아냈어。
K: ダメになって、自分が辞めたのよ。出てけ言うんじゃなくて、辞めて、犬の商売したのよ。売ったり買ったり。犬が囲屋(カコヤ)の中に入った訳よ。中ね。ほんで、この小さい穴で入ってくから、人間が入れないやん。ほんでとめてから犬を獲ってきたのよ。ほんでそれを盗んだいう訳や。捕まってから。사실은 盗んだじゃなくて犬が入ってたから、それを獲りに行こうと思って行ったやつが泥棒だいうのよ。ほんで捕まって行って。その誰かが言うた訳や。で、その捕まってから話してから、自分は盗んだんじゃなくて、일단お前は泥棒だ言うて。で、刑務所行く前に、働くとこが있어. 노동교화서라고 있어。6ヶ月。ほんで一生懸命にやったら出てくるし、北朝鮮もお金ちょっとやった人ははよ出てくるし、もう여러가지。で、幹部が、もうこれ出してやれ言うたら、出てくるし。 나도 몰랐댔어。分かったらはよ出てくるようにするけど、知らなんだの。ほんで、自分が、娘がこう、チョロンイ아버지が、こうに行かなあかんいうようになった言うから、びっくりして。そして、行って、その소장に頼んだら良かったのに、うちらは知らなんだのよ。そしてこの人が連れに来たのよ。3人、男の人が。ほんで行っちゃったのよ。行ったのは、うちは知らなんだのよ。娘とちょっと離れとんのよ。10分くらい行かなあかんの。アパートね。5階に暮らしてるから、私は3階で。それも私が買うてやったのよ、家。 それで捕まってから、行ってから、一番最初やから知らんから、ずっと朝昼晩、日本語で言えば並ぶ。한국 말로 줄 선다고。ほんで、조금도 찌그러지면 殴る訳や。それを知らないの、この人も。この子、うちの息子、いや旦那さん、娘の旦那さんが、체육しとった人やから、真っ直ぐよう立たないのよ。ちょっと찌그러 있어。ちょっと見たら生意気に見えるみたいや。그니까この責任者がもう、똑바로 서라! 하면서 悪口言うたみたいや。 ほんで、真っ直ぐ、それで殴ったらしいよ。先に。ほしたら、あんまり殴るから、うちの妹の、娘の旦那さんが口答えしたりしたやろ。するわいの。그니까口答えしてから、殴るから、ほしたら옆에서、自分達も悪い奴なんで、よく見えようと思って、竹棒こんな長い棒、2人が殴った訳。後ろで殴る。옆에서 나오니까。피が、バーっと出てきてから、こういう壁に、피がいっぱい付いてるのよ。 私全然知らなんだよ。あれからうちの娘が、다음 날에行ってから、あくる日、2日目にご飯炊いて弁当入れて持って、着替えやら、靴下やらなんやら持って行ったんや。
F: その時Kさんは一緒に行ったんですか?
K: 아니야。1人で娘が行ったのよ。行ったら死んだ言うのや。病院連れて死んだ言うのよ。病院におるいう訳や。그래서孫が私に連絡したのよ。아버지 죽었어。びっくりしたから、走って行ったんよ。ほんで死んだ言う訳よ。ほんでどこにおる言うたら、病院におる言う訳や。ほんで病院行ったら、うちは行きたくないから、そういう風にしたんや。これはあかんな思って連絡したのよ。
F: 誰にですか?
K: 旦那さんの親達に。向こうから電話したんやの。芝居したのよ。自分がもう、してから倒れて死んだ言うてから。親にあれした訳や。親に連絡した訳。自分で病気かかって死んだ言うてから。嘘言うた訳や。向こうで殺したから。男の親に連絡した訳や。
F: 誰が?病院の人が?
K: そこで。
F: その暴力をした人が?
K: 아니してない。そこの責任持っとる人達が、親に連絡して…
F: 自分で死んだって?
K: うん。그래葬式しなきゃダメじゃないの。自分達はしてくれないの。ほんで親達がびっくりしてから来た訳や。ほんでお母さんが、これはそういう死ぬ子供じゃない、怪しい言うて見た訳や。ほんでずーっと聞いたら、見たら、どこにおってどこにして死んだかいうて見たら、壁に血がいっぱいある訳や。
F: それは見に行けたんですか?
K: うん?
F: それは見れたんですか?どうやって見に行けたの?
K: そこ親達が見た訳や。私らも見たし。私も行って、娘も見たし。
F: それは見せてもらえたんですね。
K: ほんで、お父さんが病院に行った訳や。病院行ったら、もう、顔がこんな腫れて、血が出てみんな拭いちゃったから分からないやん。ほんでそれ見た人、女の人がおるのよ、そこに。言わないの、怖いから。うちらが怪しい言うたから、電話、見た、調べたんや。調べたら、出てきた訳や。棒で殴った、人も捕まったし。と、誰々がおってどうした。で、うちらが警察に言うた訳や、このお母さんが。제기했어。出てきてから조사했지。壁に血がいっぱいあるし、あちこち。ほんで棒も折れとるの。殴った棒が1つ꺾어 졌어。そういう悪い暴力が어디 있어?그래서死んで、自分達がすいませんすいません謝ってから、葬式、殴った人もみんな…
F: 来たんですか!?
K: 行ったよ。葬式に行って、そうして、あの묻어야 되잖아。북한이 화장 안해。山埋める訳や。ほんであの人達、みんな掘って、仕事をさす訳や。行った時には向こうで触っとったよ自分達で。で、みんな葬式終わって、みんな豚箱行ったんよ。あの人達は。で、ここだったら、弁償金出せ、死んだ人보증 나오잖아。한국에선 나와요。全然くれへん。ほんでお母さんが、子供、1番偉い様のとこ行く.どうするか、そこの責任者に言うて、石炭もらったんや。石炭。石炭、あの石炭3ヶ月인가、4ヶ月使う分。ほんでもらってから、お父さんお母さん先に持ってって、ほんでうちは何もないじゃない。娘が何もないじゃない。で、言った訳や。ほんだらやった言うのよ。うちはもらってない。で、なんでや。ほんだら、やります。한 차 싣고 왔어。悪いやつ持ってきたから、苦労したよ、そん時。ほんで後から見たら、その偉い様がうちの息子と同級生や。知らなんだや。미리分かったら良かったのに。좀助けて見てくれるんだけど。知らなんだや。うちらも知らなんだし、向こうも知らないんだ。そういうことがあって、うちが胸が痛くて、泣いて泣いて暮らして、娘に。で、娘がヤケクソなっちゃってから。子供も学校行けれないし、生活が苦しいから。ほんで미용パーマするのを覚えてから、私が미용してたから、覚えて포따리 사가지고、あっちこっち行って、パーマして。田舎の方も行って。そして食べて行く言うて手紙が来たけど、私が少しずつこっからお金ちょっと送ってやるのよ。北朝鮮へ行く人に、おったら。ブローカーにさしたら、みんな取って食って、2人も取って食ってもらえなんだよ。1000달러. よくやっとるのは、200만원も2回も取られちゃって、ほんでこれはダメだ思って。で、日本で親戚がおるから、で、親戚に頼んでから、私が日本に行かなあかんのよ。ほんでそうじゃなかったら銀行で。1番最初は知らなんだから持ってってやる。今は銀行でやってから、北朝鮮持ってってやるの。2回持ってってやったかな。 で今コロナで行かれないのよ。1番苦しいのが、私が、それ。今でもその娘が可哀想。胸が。で、うちがお金を送るの。服も送ってやったのこっちから。みんな貰った言うんよ。で今コロナ때문에2年間送れないから、カバン、トランク3つある。息子はもう止めい!言うけど、私は胸が痛い。送ってやらなあかんの。마지막이라買ったやつどうするの。ほかる(ほかす)訳にはいかんし。だから買う人もいないし、韓国はいっぱいあるから誰も買えん。けど北朝鮮では。うちは마지막으로終わりで、送ってやって。ほんで今度コリラ(コロナ)が終わったら、弟会いに行きながら、娘にお金ちょっと送ってやろうと思って。今頑張って働きに行ってるの。うち、アルバイト。
F: 弟に会いに行くって、弟さんは今どこなの?
K: 日本におる。弟おるし、岐阜県と、兄さん1人おるし。2人、1番上の兄さん死んだし、2番目の、私が50年前に会うてから1時間前に死んだ言うた。胃癌。で、死んで、3番目4番目おる。男2人。ほんで、私おるし。北朝鮮に、兄弟みんなバラバラなっちゃった。それ言いたかったんよ、私は。ほんで今でも暮らしとるけど、そういう人間に対して無茶苦茶するにょ。そんなに야망がどこにあるかいうこと。生きとう人殺しとんのよ。病気がかかって死んだ人は仕方ない。病気かかるのも、食わせんから病気かかるのよ。だけど、豚箱行った人も死んでくる人が多いよ、北朝鮮は。生きてくる人は少ないよ。軍隊行った人も、10年行ったから、うちの日本から来たおばさんも、女の子4人で男の子1人。さっきも言うた。軍隊行って死んだ。あんまり長いのよ。今はどうなったか知らんけど。10年。前は3年、4年行って、軍隊で。今は、うちが来る時10年だいったけど、今はどうなったか知らんけど。あのこうしたら、もう2年、3年。それもあんた長い言うてから、1年8ヶ月だ言うとる、韓国では。소련とか다른 데는3年だ言うてたね。
F: 軍隊行って死んだっていうのは誰のことですか?誰が軍隊に?
K: うちの北朝鮮におる、日本から来たおばさん。
F: おばさんの誰が?
K: 息子。
F: 息子が軍隊に行って…
K: 女の子4人、男の子1人。
F: 唯一の息子さんが?軍隊に行って?
K: 軍隊行って死んで。
F: なんで死んだか知ってますか?
K: 栄養失調で死んだ。
F: 軍隊で栄養失調?
K: うん。病気かかった人もおるよ。1人も2人もおるよ。1人は、何の病気だいうたら、피 마르는 병。セキビョウ인가?
F: 白血病?
K: おう。あれかかって死んだ人おる。軍隊行って。んで、あの人も、北朝鮮でおってから今、生活苦しいから田舎へ行ったんだけど、男の子2人や。女の子1人で。ほんで女の子は、남포嫁に行って、2人、ほんで上の息子や。上の息子が死んだんよ。その結核病気か?피 마르는 병。日本語じゃなんだった?あれ。
F: 白血病やったかな。피 마르는 병。혈액병?
K: 아니야 혈액병 아니야。聞いたかもしれん。생각 안 난다. 오래 됐어 그거。피 마르는 병이 있어。뭐라 해?
F: 白血病やと思うんですけどね。ちょっと調べときますね。
K: おう、그거聞いたら分かる。피 마르는 병인데. セキジュウイか?セキジュウイだっけなぁ?피 마르는 병이야。朝鮮語で言えば。피 마르는 병이라고。うち葬式の時行ったもん。우리 같이 동네 사는데 갔다 왔어 나。葬式。
F: ちょっとパッと分からないですね。
K: セキ、セキ…聞いてみたら分かる。まあるくつけとき、赤くして。それでかかって死んだよ。葬式の時、うち行ってみた、行ったよ。ようけおる。病気かかって死んだ人ようきおるよ。
F: 日本の奥さん達、20人ぐらいいらっしゃったけど…
K: うん、みんな死んで、7人残っとった。私がおるとこに。14人。14人おって、みんな死んで7人残ったの。男の人。日本の男の人1人おる。
F: その20人くらいというのは、その帰国者の仲間達ですか?
K: うん。일본 살다가…
F: おんなじ동내に暮らしてた人達ですか?それはなんで死んだんですか?
K: 病気にかかって死んだよ。みんな病気かかって死んだよ。
F: 早くに亡くなられたんですか?
K: 食べるもんが違うからな、やっぱり。日本の人は。ほんで、なんでいうたら、日本の人は마음이 좀 약해. 강하지 못 해 조선 사람보다.
F: 日本の人ってのは日本…
K: 日本人や。
F: 朝鮮人じゃなくて…
K: ほんっとの日本人?
F: 日本人。朝鮮人と結婚した人達ですか?
K: 結婚した人よ。
F: そうですか。そんな人達もいたんですね。교류はあったんですか?K선생님とは仲良しだったんですか?
K: いくらでも喋って、言うよ。
F: 日本語でね、色々お話して。
K: 日本語知っとるから。その人も朝鮮語上手いよ。みんな死んだ人多い。
F: 病気ですか?みんな。
K: うん。みんな病気で死んだ。
F: いつ頃大体、みなさん亡くなられたんですか?食べるものが少なかった時ですか?
K: うん、その時…うちの旦那さん死んだ後だな、みんな。みんなそういう時よ。
F: 80年とか90年代とか?
K: 90年代だった。
F: みんな90年代亡くなられて。栄養失調とかですか?
K: みんなほとんど栄養失調やね、言えば。
F: 선생님の、Kさんのお家は、その오빠達から何か食べ物とか、お金とかの支援はあったんですか?
K: 2回くらい送ってもらった。日本のお金10万円。10万円送って、それで家買ったんや。家小さかったから、ちょっと広いとこ行ったし、で娘嫁に行かしたし。家買ってやったし。2番目の娘、家買ってやった言ったやな。だから、上の娘も嫁行かして。別れて来たじゃん、こう。
F: その90年代のね、食べ物がなかった時はどんな風にやりくり…
K: その時は、食べる物ないことはないよ。その前には、食べる物はないけど、90年過ぎてからな、市場が、장마당がようけ생겨서自分が…
F: お金を出して買った?
K: うん。いくらでも、自分の頭使ったら、商売して食う人もおるし。商売できない人はダメだし。自分で働いていい人は食えるし、そういうもんや。で日本の人は、마음이 좀 약해。なんでも。一生懸命やる그기ない。
F: 帰国者はどうしてたんですか?
K: 帰国者は頭使って…
F: 商売したりしてた?
K: 商売して食う人食うし、でお金もようき騙されてとられたいう人も多いし。北朝鮮の人にな。それ見て原住民だけ。日本語で。原住民に만とられとか、そういう…
F: 原住民のことなんて呼んでました?ゲンチャン?
K: ゲンチャン。うん。で、うちらで話する時は、ゲンチャン、ゲンチャン하지。原住民言わんと。ゲンチャン、ゲンチャン。ゲンチャンおる前には…
F: 言わない?
K: 言わない。
F: で、Kさんはどうしてたんですか?その時。どんな風に商売してたんですか?
K: 私は、あの미용してたから。仕事してたし。미용辞めてから、もうあれこれ商売してみた。
F: 미용は結構お金になったんですか?
K: え?
F: 미용は、お金が稼げたんですか?
K: 日本のお金?
F: 미용。미용。
K: 미용?미용は、向こうで覚えてやった。
F: 覚えてやったらお金にはなるんですか?結構儲かったんですか?
K: 아니、月給。それ辞めてから、55세까지야。女の人は。55歳までで、辞めてから、私が、薬が悪いから、パーマの薬が悪いで病気かかったのよ。
F: 気管に入ってしまった?
K: うんうん。기관、전신 기관 폐렴이 왔어。それ辞めて、これから1年ぐらい、仕事も何も、病気にかかって、それから1年くらいダメやった。で、それから後に、ちょっと治ってから、あちこち商売したの。
F: どんな?미용ですか?
K: 服も売ってみたり、それからパーマもしてやったり、そのポッタリチャンサも。
F: じゃあ日本のものを?
K: 아니日本のものもあるし、これから、韓国のもの、品物もあるし。신의주から、闇で入ってくる、船で入ってきたりする、それ売ったり。
F: それはどうやって구했어요?
K: 友達に…
F: 中国の?
K: 아니その人達は、どっから来るか知らんけど、당동에서 건너 왔어。신의주에서、신의주から嫁に来た女の子がおるの。それで渡って来て、うちらと安くもらって、闇で売ったのよ。
F: ちょっと話戻っちゃうんですけど、공장에서 일을 하셨잖아요。あの一番…시집 가셨고 남편 분이 돌아가실 때까지。
K: 돌아가실 때 전에 까지는 일하러
F: 공장에서 일을 하셨고。じゃあ、돌아가시고 나서 미용 일을 시작하신 거예요?
K: 예. 아니 돌아가기 전에 미용 들어갔어。73년도/
F: 그래요?それはなんで?
K: 働きに行ったんや。미용실에.
F: なんで미용の仕事をしようと思ったんですか?
K: 私がこれ、好きやったから。
F: やりたいなって思ったんですね。남편は、それは家でやれとか…
K: 家や仕事行くよ。
F: 仕事行くの、やれ、頑張りなさい…
K: 아니 미용실이가 있어. 학교 아니고 여기 이발소 있는거지 미용실이가 있다고 북한에도.그래서 거기서 교대로 하는 데가 있어.밤에하고 낮에하고。
F: 추월선생님と이발소에서 일하셨다면서요。
K: なんで、이발 아닌 미용。
F: だからね。ちょっとお2人、似ても近いお仕事をされたんですね。
K: 仕事。それで子供を3人暮らしたやん。私が。
F: 私が勝手に想像してるだけなんですけど、その남편が有名な人だったので、暮らしはそんなに不自由なかったのかなぁと…
K: 아니 남편有名な人やっても、お金はくれない。配給。みんな配給、月給。
F: そうですか。同じなんですね?
K: うん。月給。
F: ただの名誉だけ?
K: うん、名誉だけ。ほんで、ええ生活はできなかった。月給やから。
F: じゃあ日本からの支援は、特に食べ物には使わなかったんですか?
K: 全然来なかったよ。お金だけ2回送ってくれた。
F: じゃあその、고난의 행군。95年ぐらいのすごくしんどかった時期…
K: 아니日本で、総連で、ハビョン은행이가 생겼어。北朝鮮하고。で今潰れちゃったんや、それが。ある時に、2번 보내 왔어。で、それも、弟がもう良い生活じゃないけど、送ってくれた。10万円、10万円、2回。
F: それは商売には使わなかったんですね?
K: うん。ほんで、私が韓国来て、日本へ行ってみたら、そんな流行る店じゃなかったんや。食べるのが、生活がいっぱいいっぱい。
F: 弟も?
K: うん。ほんで気持ちで送ってくれたのよ。私が行ってみたら…
F: 古いお店でしょうしね。今はね。
K: うん。ほんでうちが、嫁さんが初めて、1回だけ(しか)会うてないんや。会ったのに、私がここ来て、中国行ったり、あっちこっち仕事も行くで、忙しい。行けなかったのに、奥さんが死んじゃったの。1回しか見てないのよ。그래서 내가 이번에 가면。日本行ったら、まぁ、墓参りとして、行くと思いますけど、今行かれないからね。ほんで今言いたいことはようきあるけども、北朝鮮で話はもう、50年間、みんなそういう、喋ることもなんでもできないし、一生懸命に働いてきたのよ。ここ来たの。
F: しかも今も働いてね。娘さんにお金…
K: 私、ここ、北朝鮮おる時も、평양서 남포까지 고속도로 생겼어.その時うち、1年間、月給も配給もなんにも貰わんて、仕事行ったよ。
F: なんで?
K: それ、全部そうやって働きに行かなあかんの。
F: その高速道路のために?
K: うん。みんなした。女も男も、子供から学生までみんなそう。学生はもう休みに、行くだけ。ほんで自分達が、こっからここまで、この맡았어。自分がやるとこ。全部、もう山上がって、もう墓参り、潰してから…
F: 墓も全部潰した。
K: うん。潰してから、土を持ってこなあかんの。埋めなあかんから。そういう仕事もしたよ。ほんでその、袋に入れて、마디 치고 산에서 내려 와서 、ここもう、川につれて、마디 14個破れたよ。一生懸命にしたよ、うちら。
F: 配給なしで、でもどうやって…
K: 配給もくれへん、そん時は。
F: でも、食べ物がないと動けない。
K: 애국 노동、애국 노동이라고 나라에 비치라 하는 거지。
F: それは分かるんですけど、でもね、人はだって何か食べないと…
K: 月給もくれん。で、うちがその時何食ったら、朝から晩まで강넹이 국수 세끼 먹었어。お金もないし、米もないし、どこからお金出てそんな。맛있는 것 못 가서。じゃない。
F: 애국 노동それは、いつですか?その남포。知ってる気がするけど、高速道路…
K: 私、あの時60歳。내60歳 환갑했어。その時に。
F: 南浦から平壌の高速道路ね。
K: ほんで、교포에서私、メダル하나、コンメダル있어。コンメダル、それ。여기서 뭐 금メダル동メダル。은メダル동メダル지?1番下が。それ貰った、うちが。
F: 何が?何をしたんですか?
K: 仕事で一生懸命したいうてから。교포에서。
F: 교포부?
K: 교포。교포。재일 교포라고 있어 따로。
F: 교포부よね、多分。
K: 교포. 재일 동포 교포라고 있어 이름이. 「교포」에서 줬어. 나를. 말하면 여기 재일 동포。중국 동포、무슨 동포 있잖아. 그게 재일 동포로 해서 대포로서 일 잘했다고 준거야.
F: 누가?
K: 「교포」에서。교포 군 있잖아. 여기서 말하면 오류동 군. うちが사는 데 「교포」가 있어. 마땅한 사람이 있어 책임 치는 사람들이. 日本で言えば、大阪で、お宅さんの暮らしとる마을이 있잖아.その責任者がくれるの。
F: 교포がくれるって仰ったから、ちょっと헷갈렸어요。교포じゃないですか。교포ってのは、Kさんのことを교포っていうでしょ。교포だからくれたってことだと思うんですけど、それはじゃあ、その마을の代表がくれたんですね?合ってますか?
K: うん。교포. 단장 교포 책임 치는 사람이 줬어. 「교포」라고 따로 있어.
F: それは皆さん、선생님もですし、他の人達はみんな、「교포」って呼んでたんですか?
K: うん。잘 알아。일본에서 재일 동포들이 알아. 교포라면 알아. 다 있어. 남포도 교포있고 강선구에도 있고 평양도 교포도 있고 다 있어. 북한에서는.
F: 교포부とかじゃなくじゃなくて、교포?
K: 교포。교 교 교포…
F: 그거는 아는데. 교포부とか、その部署の名前ではなくて、교포ってそれを呼んでたんですね。
K: ええ、교포。
F: それをみんな교포교포ってみんな言ってたんですね?
K: うん。재일 동포라 하잖아 여기서는. 여기서는 재일 동포라 하잖아. 한국에서는.
F: 교포라고도 하죠.
K: 재일 동포라 하잖아 한국에서는.거기서는 교포라고 하는거야.거기서는 북한에서는 교포 그 그거 교포에서 준거야 나.
F: 교포에서 교포라서 준거네. 교포だからくれたんですよね。誰が?と思って、それを。だから、それは마을の一番偉い人がくれた…
K: 내가 일을 많이 했으니까 준거야.
F: 나라에서 준게 아니라 마을에서 준거예요?どっちですかね?
K: 나라에서 준거야 그거.
F: 나라에서 준거…
K: 교포 교포 교포 단체로서 준거야. 일 잘 했으니까. 내가 교포를 대고 있잖아. 원주민 아니잖아 내가. 교포야.일본서 온 재일 동포아니야. 그게 재일 동포에서 준거야 나를 일 잘 했다고.
F: それは、その고속도로を作った時ですか?
K: うん。그 기념으로.
F: 교포だからそうやって、こう奨励をするということもあったんですね。왜…
K: 그래서 교포에서도 거기 많이 사는데 내가 많이 일을 했어. 그거 중에서도 일을 많이…
F: 그거 중에서도 잘 했다고…
K: 응.
F: 그런 일도 있구나
K: 여기 와도 내 남한테 일 많이 했어. 여기는 개인이지요.일하는거는 개인아니야.근데 회사에 들어가면 회사에서 받는데 나 여기는 개인 하니까 없단 말이야.월급 타지。한국에서는.거기서는 애국 노동. 애국 노동. 돈은 안 줘. 자기가 마음으로 한다.나라위해서 한다 그거지.한 마디로 하면.
F: 근데 K 선생님은 마음으로 한거 아니지 않아요?사실은.
K: 그거는 나오라 했으니까 나와지.
F: 나오라고 해서 그냥 한거 잖아요. 그렇게 열심히…(1:51:18〜1:51:20:水持ってくる)…마음으로 한거는 이유를 여쭤볼게요. (1:151:24〜1:51:42:水持ってくる)… 왜 그렇게 열심히 할 수 있었는지 물어보고 싶어서。
K: 왜 열심히 하나.
F: なんでですか?なんでそんな頑張ったのか。
K: 아니 자꾸 당국에서 있으니까 다 나오라 나오라 하니까 연맹단체에 있단 말이야. 연맹단체라고 일지요. 우리가 다 있어.그럼 데리러 와 아침에 되면.나가자고.
F: で、가잖아요.で も、その나간 교포 중에서도 열심히 하신거잖아요.그렇게 열심히 할 수 있었던 이유는. 왜나하면 나라에…
K: 할 수 없지 나갔지.
F: 그죠. 애국심 있는거 아니죠.
K: 애국심 있었지.
F: 애국심 있었어요?그 애국심이라는게 뭐 어떤거죠?일본에서 와서 못 살았다고 하셨으니까 그 애국심이라는게 어디서 나오는지…
K: 할 수 없이 하잖아 고속도로라는게.데리러 오니까 하지.일했지.나오라 나오라 하니까 안 나갈 수가 있나요.
F: 그거 억지로 하는거 잖아요.
K: 억지로 하는거지.
F: 그럼 애국심 있었던건 아니잖…
K: 애국심은 아니지.
F: 그럼 열심히 하는 척을 했어요?
K: 응?
F: 열심히 노동을 하는 걸 연출…척했어요?
K: 아니 열심히 하는데 안 나가면 안 되게 되고 있어 거기는. 그니까 나갔다 말다가 못 해.
F: 그니까 그건 이해했어요 선생님. 많은 사람들이 있잖아요.많은 사람들은 구속에 교포들도 있었을거고. 구속에서 선생님은 상 받았다면서요.
K: 몇명 안 돼. 우리 동네는 다른 데도 있어 맡은 데가 있어 우리 맡은 데만.한 몇명 있었어
F: 거기서 선생님은 우수하셨다고 하잖아요.그렇게 열심히.多分아마今もそうだと思うんですけど、一生懸命生きてらっしゃったと思う…
K: 一生懸命안 하면 あかんねん。
F: うん、一生懸命あかん인데, 그렇게一生懸命할 수 있었던 이유가 뭘까 궁금해서요.
K: 아니. 뭔가 고속도로라 하니까 빨리 해야 되니까. 早くせなあかんから、仕方ないで朝なったら呼びに来るし、みんな行くから、仕方ないで。ほんで米もくれないし、何もくれない。朝から晩まで腹が減ってるから、강냉이 국수 세번만 먹어.아침에도 먹고 낮에도 먹고 저녁에도 먹고.お金がないのにどこから出てくるの。それもないの。
F: そんなの、なんで頑張れたんですか?
K: ん?
F: それなのに何故頑張れたのか。
K: なんで頑張るか。連れに来るから、行かなしゃあないの。
F: しゃあないなぁと思ったけど、そこで。私が伺いたいのは、でもそんな、しんどいじゃないですか。
K: 그런거 따져도 そうやって言うても、仕方ないの。行かなあかんの。仕事せなあかんの。
F: 他の人達も同じように、仕方ないなぁと思って働いてるんですか?
K: そうでしょう。
F: じゃあその中で何故、目立ったんでしょうか?
K: 내가?歳がいってるから。
F: それが聞きたかったの。歳がいってるのに、女なのに、それでも一生懸命、他の人達と同じぐらい頑張ってるということで奨励されたんですね。
K: 今理解できるでしょ。
F: えぇ。
K: うちらの子供達、反対してたよ。行くな行くな言うて。ほんで一軒に1人ずつ出てこなあかんの。娘か息子か誰でも出てこなあかんの。出てかなあかんの。高速道路だから。ほんで、高速道路できたらうちらも南浦も行くし、ヘイジョウも行くから。みんな行くやんか。道路行かない人が誰がおるの。그니까行くようになっとるんよ。
F: で完成したんですか?道路って。その道路は完成しましたか?
K: したよ。ほんで、その道路は広くしたけど、広いよ。あんまり良い道じゃない。道路じゃない。왜なんでだ、자제가悪いから。
F: だってみんな素人…
K: 인차 고장나.
F: 위험하겠다.
K: うん。ほんでまた、テンジルするんよ。小売店でまたするの。セメンデするけど、みんな진짜 빨なのよ。道路。あれするんや。仕方ない。 誰があんた給料くれるんだないうて、責任持って一生懸命やれへんやん。大体だっちゃっちゃっちゃするやんか。そやろ?タダやからみんな責任持って一生懸命仕事はするけど、ただただ。誰が一生懸命に自分の家みたいに一生懸命頑張ってやらないよ。ただただだするやんか。だからすぐ고장나는 거야。ダメんなるの、道路が。
F: そういうところ多いですか?
K: 多い。
F: 김일성が亡くなった時のことって覚えてますか?94年。
K: 知ってるよ。うちの前に、その김일성の간판がある。大きい。사진
F: 家の前に?
K: うん、写真があるの。
F: ちなみにその横には김정일もいますか?
K: 道路がある訳や。ほんで私が来る時には、김정은は돌아가실 때 아니야。死んだ時違う。
F: その写真、김일성の横には…亡くなった時に写真が掲げられたってことですか?
K: 김일성 사진はある。
F: 元々それはあったんですか?
K: うん。あるんや。
F: 김정일はいなかった?
K: うん。
F: 김일성だけ?
K: うん。うちの前に、大きい간판がある。ものすごい。こっから向こうまで、こーんな大きい。ほんで、正月とか、김일성誕生日とか、みんな花持って挨拶しに行くん。花束持って挨拶しに行くん。
F: 勿論K선생님も行きましたよね?
K: 行くよ。行かなかったらダメだもん。それは法律なっとるみたい。行かなかったらあかんの。亡くなった時は、毎日行ったよ。
F: 亡くなったってのはどうやって知りましたか?
K: 방송 프로。自動車で、何時で死んだ、심장 마비로何時死にました言うてから、방송 프로。그래서分かったの。
F: それは、その亡くなった日に分かりました?何日か後に分かりました?
K: 아니 다음 날에.
F: 다음 날에?
K: うん。分かった。
F: それをたまたま、それを放送を聞いて…
K: それで毎日、朝と晩、晩へと2回。
F: 行って。
K: うん。인사하러 가죠。
F: どんな気持ちでした?その時。
K: その時ももう、김일성 돌아가셨다니까 みんなびっくりしちゃって、ほんとかなぁって夢みたいに思って。아파서 더 눕지는 안 했단 말이야.病気で寝とったのないて、急に死んだから。だから묘향산 병장 가서別荘行ってから死んだ訳や。朝。で、거기가 가 안기가 많아서 이 심장이 몸이 (적어서?) 심장이 약한 사람은 苦しいんやって。그래서 심장마비로 갔어 돌아가셨잖아。안기가 묘해. 나도 한번 놀러 갔어 그쪽에.
F: 그랬어요. K선생님은 그때 김일성 죽었다는 걸 듣고 사망 소식을 듣고 어떻게 느끼셨는지.
K: もう나라 대통령이니까…
F: 슬펐어요?
K: 슬펐댔지.
F: 슬펐어요?
K: 슬펐어 꽃다발을 아침 저녁 行ったよ。行かな…行かんでもええいうことはない。みんなが行く。1人も抜けない。毎日。
F: 울었어요?
K: 어 울었지.泣いたよ。泣かん人1人もおれへん。みんな泣くんよ。
F: 本当に悲しかったですか?
K: うん、悲しかったよそれは。
F: そうですか。나라がどうなるんだろうという不安?
K: そんなこと全然ない。全然知らない。ほんでこう、후계자가 감정은…
F: 김정일
K: 김정일이 있으니까もう…
F: 후계자도 있고。
K: っていうか、すぐ出たよ.살아 있을 때 후계자した。맞아.살아 있을 때 후계자했어.
F: そうですね。김일성にその悲しみを表現するって、仕事もしながらじゃないですか。
K: 누가仕事する?
F: Kさん…
K: 私が?その時は、仕事行ってないよ。
F: 仕事行ってなかった時だったんですね。じゃあそんなに、そればかり1日…
K: あっちこっちもう商売したり、1日儲けて食うぐらいだったから、もう余裕はなかった。
F: じゃあ仕事する時間もなくなるじゃないですか。
K: 仕事する時間は、自分の自由や。朝行ってもええし、夜行ってもええし、昼行ってもええし。自分の頭使って、商売してもええ。
F: 김일성が亡くなった時、商売できなかった?
K: できない。
F: でしょ。その時生活は大丈夫でしたか?
K: あぁ、1人な、こういうことあったよ。김일성 생일이.誕生日。死んで亡くなったのに、재일 동포 아이야.日本から来た。言うたことあるじゃない。もう結婚。김일성死んだのに、友達集まって、歌歌って酒飲んで遊んで、ほんでもう酔っ払って遊んで、女の子2人おったかな、男の子何人で、それで재일 동포 아이들이가 2명 김 양○ 아들하고 하고 그다음에 북조선 아이들이야.歌って酒飲んで大きな声を歌って遊んどる니까 下で、안 자는 집이야。下が。下の家が、うるさいから上がってきた訳や。ほんで上がってきて、すいません、怒られてやめたらええのに、口答えした訳や。警察と。그래서警察が怒っちゃってから。この人達がすいませんってやめたらええのに、もう酒飲んで酔っ払って、もう喧嘩したみたいや。그니까1人교포 아이야その子も。도망치라니까 총 딱 썼단 말이야.달이 조금 맞았어.조금만 이렇게 지나갔어.でそれも豚箱2年行ってきた。ほんでその時に…
F: 총을 발사한 건 안전부の人ですか?
K: うん。안전부のが썼어。
F: 誰が豚箱に行ったんですか?
K: その子供達。遊んだ子供達が。それも재일 동포 아이야。
F: その容疑…
K: ほんでそこの家で、遊ぼう言うた子が、それも교포 아이야.ほんでその子は、みんなの前で、김일성葬式끝나서、後に、集まって殺された。銃殺された。みんなの前に。人もいっぱいおる時に、お父さんもお母さんも…
F: おる前でですか。
K: おる前で。딱殺されたよ。
F: それは1人だけですか?殺されたのは。
K: うん。後はみんな豚箱。ほんで日本から連絡して、親戚が来て、その前に親達に、息子死んで가슴이 아프잖아요。その時に、아픈데 田舎の方にアパートおってから、田舎の方に行かされたの。
F: 추방됐구나
K: うん。うちらから1時間ぐらい行くとこ。それから、日本から親戚が来てから、お父さんの姉さんか妹か、来てから、교포、一番偉いとこ중앙당。言うてから、この人達出せ、田舎の方から出せ。子供達死んでもあれなのに、可哀想になんで田舎行くな。これでちょっとうちらの方に来たの。来たのに家がないのか、ちょこっと田舎の方に行ったのよ。ほんでそこが水が出えへんから、また、정상 있는 데 갔다いう話やった。そういうことがあった。1番可哀想やったな、それが1番。胸が痛い。みんな泣いたよ。うちの교포 사람들이 다 울었어 속으로는.
F: 속으로는 울었죠。でもあんまり…
K: わんわん泣けない。속으로 안 되서…
F: 김일성が死んだ直後ですよね?いつ頃?その何月とか覚えてます?
K: あん時、장마 때야 비가 올 때야。
F: 장마 때。
K: 7월달인가 8월달인가 그래。7월달이야 맞아。
F: 全部の장례식、いつ終わりました?あれって。3ヶ月でしたっけ?김일성の葬式が全部終わってから、公開処刑になったんですよね?
K: 殺されたのが?
F: うん。
K: 終わってから。
F: 全部終わってからですよね?
K: うん。で、死んだ日に、死んだ日に…
F: 遊んでたんですよね?
K: 死んだ明くる日かな…
F: 知らなかったのかなぁ。
K: 知っとったよ。知っとって、葬式しとんのに。みんな朝晩行く言うたな、うちらが。花持って。ほんで初めは花持ってくけど、毎日は花もってかれないから、行って挨拶してくるんよ。そんで、この子達が、まさかと思ったやろ。で、運が悪かったよ。それ考えてもダメなのに、遊んでから殺されて。もう考えてみたら、考えてみや、나라 대통령인데 死んだのに自分の誕生日が大事か?한국에 있어도 같애。そういうことはできない。안 돼。
F: 한국에서는 할걸요?大統領に誰も忠誠は誓ってないから。
K: うん、ここは인권 문제에 있어서는 그렇지만 이 다른 나라에서도 그런건데 안 돼 그거는.常識に考えてみて、そういうことがダメだよ。そういうことはダメだよ。
F: 何人ぐらいの男の子ですか?
K: その時、男の子達、5人ぐらい인가。女の子2人。
F: 女の子がいたんですね。
K: うん、2人おった言ってた。
F: 公開処刑があったのは、どの場所であったんですか?
K: アパート。自分たちの家。
F: アパートの前で公開処刑があった?
K: あぁ。殺された子は、あの、경기장。
F: 경기장。南浦のですか?
K: 아니。うちらに大きいとこある。ものすごい大きい。そこで運動会とかするじゃない。それ。경기장。こんな。日本語で言えばなんだい。잊어 버렸어。 みんなのおる前に、殺す。
F: それには絶対、地域の人は行かないといけないんですよね?
K: 私は行かなかった。
F: 行かなかった。でも소식は聞いてましたか?
K: その親達が말해서 말았어。言うたから分かったよ。銃殺してから、みんながわーっと来て、見た人達が言うから分かったよ。ほんで親も、私が미용실おったから、와서 말을 해서 알아.もうすぐ分かる。今日殺されたら、明日の朝みんなニュースは。私が미용실おるから、女の人がよく出てくるやん。あそこおったらみんな分かるの。ニュースがみんな入るの。미용실에서.
F: でも、미용실がそういう情報の場所ではあったんですね。
K: どこでもおんなじ。ここでもそう。誰が結婚して、誰が離婚して、誰がお金あるで、誰が日本からも、よう聞いたとか、どこでも、それニュース一番分かるのはそこや。미용실이야.
F: 미용실はやっぱり帰国者も多かったです?日本の人達も?来てました?
K: ようき来る。
F: 分かりました。ちょっとここが、もう7時までで予約をしてるので、このあたりでさせていただきたいと思います。감사합니다。
K: ええ、私は言いたいことはみんな言えました。北朝鮮のことは。ほんでもう政治は国のやっとることは分かんないけど、私らの暮らしとった近所のあったことは私はみんな言いました。それで、よくね、頑張って下さい。秘密だけ、よく。担保します。
F: 勿論です。それは。私の命をかけて守りますので。
K: ほんで私に、息子達に嘘言わなあかん。友達のとこ行った、遊んできた…
F: 遊んできたって。嘘をつかせてごめんなさい。
K: 時間が長なったから、全然お宅さんと会うとは言えないから。言うたら大変だよ。
F: 嘘をつかせてしまって。
K: そんなことはまぁええけど。お宅さんが勉強なる言うから、私はまぁするけど。もう言うたでしょ。お金ももらうためじゃなくて、そういうことは全然、絶対に。日本行っても頑張って下さい。またあったら来て下さい。
F: 沢山のことを今私も聞いたので、私も햇갈린 부분도 많았잖아요.だから、また録音を聞いてこれなんだったかな?とか、これはその後どうなったんですか?とか、多分質問がまた出てくると思うんですよ。その時はご連絡を差し上げても良いですか?また冬には来たいとは思ってるんですが…
Interviewer: Rina Hong
Interviewee: Kim Choo Wol
Transcript Notes
None
Consider how the presence of family networks across Japan and both sides of the Korean peninsula shaped Kim Choo Wol’s Cold War experience.
Discuss how various social, political, and economic forces intersected in the lives of civilians like Kim Choo Wol in East Asia during the Cold War.
In light of Kim Choo Wol’s testimony, discuss how the Cold War renegotiated the identities individuals held, during and after the Cold War. What are its implications for the study of the Cold War in East Asia, Asia, and globally?